世界史

イタリア北部にて発展していった開かれた自由都市の歴史とは?【世界史】

皇帝と教皇、諸侯間の抗争の渦中で台頭する都市国家 九世紀末にカロリング家のフランク王国が途絶えた後、イタリアはローマ教皇や封建諸侯が分立し、ドングリの背比べで抗争を繰り返す国になってしまった。加えて、神聖ローマ帝国(ドイ […]

中世の都市連合が築いた驚くべき強大な商業ネットワークとは?【世界史】

地方荘園の時代から都市中心、商業ネットワーク中心の時代へ。 十一世紀から十三世紀、中世を迎えた西ヨーロッパでは大きな社会的変動が始まった。封建領主の支配下にある農村において、鉄製の重量有輪犂すきが使われるようになり、深い […]

十字軍の功績と罪!度重なる遠征で彼らはヨーロッパに何をもたらしたのか?【世界史】

聖地エルサレム奪還の大遠征 世にいう十字軍とは、1950年、北イタリアで開催された公会議に派遣されたビザンツ帝国の使節が、イスラム教徒のセルジューク朝トルコ軍に聖地エルサレムが占領され、聖地巡礼が迫害されたと大袈裟に報告 […]

イスラム世界のトルコ系部族集団はどのように台頭してきたのか?【世界史】

中央アジアのトルコ化=トルキスタン 六世紀以来、中央アジアにはトルコ系の突とっ厥け つ族の支配が始まり、九世紀後半には同じトルコ系のウイグル族が定住し、中央アジアのトルコ化が進んだ。同時にトルコのイスラム化も進展し、十世 […]

今やヨーロッパを代表するフランス/ドイツ/イタリアはどうやって形づくられたのか?【世界史】

西欧の中世封建社会が形成される ローマ皇帝の帝冠を頂くカール大帝の死後、たちまち相続を巡る争いが始まり、孫の代になり、八四三年、フランク王国を三分割する「ヴェルダン条約」が締結される。これによって、「中」「西」「東」の三 […]

西ローマ皇帝の伝統とローマ・カトリック教会の二つの権威を統合させたカール大帝の野望とは?【世界史】

ローマ教会と結託するカール大帝の遠望 フランク王国は西ヨーロッパの中枢部を構成するフランス、ドイツ、イタリアの近代国家が誕生する母体となっている。その意味で、フランク王国の歴史は現代人の身近な話題となる。そもそもフランク […]

長安と並ぶ西の国際都市「バグダード」はいかにして爆発的な成長を遂げたのか?【世界史】

急伸長したイスラム世界 非アラブ人の世界にイスラム改宗者(マワーリー)が生まれ、広がるにつれて諸民族間の風習や生活上のルールの違いから対立したり、不満を爆発させるようになる。そして、ウマイヤ朝そのものを打倒しようとする動 […]

30.アラブ人以外に一気に拡散するイスラム教【世界史】

東で唐と接し、西で東ローマ帝国と接し、両翼で覆う大帝国となる。 ウマイヤ王朝のルーツは、唯一神アッラーの啓示を受け、イスラム教を開教した預言者ムハンマド(マホメット)まで遡(さかのぼ)る。 ところが、ムハンマドは後継者を […]

29.大唐国に相対し日本国と称す。天子に対抗し天皇と称す【世界史】

白村江の戦いで唐に敗れたことで日本流律令国家を建設す。 天武天皇は大唐国と対決の姿勢を示し、国名を「倭国」「邪馬台国」から「日本国」に変更し、中国皇帝に対し、天皇と称するようになった最初の天皇であることを明確にしておきた […]

28.空前の世界帝国として君臨する大唐国の出現【世界史】

中国の皇帝であると同時に北方民族の天可汗になった太宗李世民。 李世民(りせいみん)(太宗)(たいそう)は、隋末の混乱期、父李淵(りえん)(高祖)と共に太原で挙兵し、長安を都と定めて唐王朝を創建。各地を転戦して割拠する群雄 […]

27.国際文化国家となる唐の土台を作った隋王朝【世界史】

短命に終わった隋王朝が長期政権となった唐王朝の土台を築いた。 北周王朝の大将軍揚堅(ようけん)は、黄巾(こうきん)の乱以来、400年余も続いた中国世界の分裂と混乱を制し、隋(ずい)王となり、589年、幼帝の静(せい)帝か […]

26.西ヨーロッパに侵入するゲルマン諸部族の働き【世界史】

ローマ帝国内にゲルマン人が定着し、キリスト教に改宗する。 ゲルマン民族の大移動は、中央アジアに定着していた騎馬民族フン族が西方に移動したのが事の始まりで、東西両ゴート族が押し出されて、様々な部族集団が玉突き現象で移動させ […]
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