宮田諭(TUBC)と五十嵐圭(新潟アルビレックスBB)スペシャル対談①
2024‐25シーズンも、大きな盛り上がりを見せている国内プロバスケットボールリーグ=Bリーグ。2月21、22日に行われたB3第22節、東京ユナイテッドバスケットボールクラブ(TUBC)対新潟アルビレックスBBの2連戦では、バスケファン注目の対決が実現した。TUBCに所属する宮田諭選手、新潟に所属する五十嵐圭選手――。ともに40歳を超えながら、いまなお現役を続ける“日本バスケ界のレジェンド”。この試合、宮田選手はベンチを外れたが、五十嵐選手は2戦連続でスターターとして出場し、21日のGAME1ではチーム3位となる9得点を挙げるなど、存在感を発揮。『ラブすぽ』では今回、試合直後にレジェンド2選手の対談を実施!ふたりの関係性からバスケ界の未来まで、存分に語って頂きました!
全3回の第1回】
――おふたりは2009‐10シーズンにトヨタ自動車アルバルク(現アルバルク東京)で一緒にプレーされていますよね?
宮田 チームメイトになったのはアルバルク時代が最初で最後です。ただ、その前から同じリーグの対戦相手でもありましたし、中央大学、日立(現サンロッカーズ渋谷)、日本代表と、圭はずっと第一線で活躍していたので、僕としては「見ている側」という印象が強かったですね。マッチアップする機会もそこまで多くはなかったんですけど、やるときは「頑張らないと!」と思わせてくれる選手でした。ただ、アルバルクに移籍してきたのはけっこうな衝撃でしたね。チームメイトになるなんて想像していなかったので、刺激的なシーズンになったのをおぼえています。
五十嵐 僕も、あの時は自分がアルバルクに移籍するとは思っていなかったです(笑)。宮田さんのことは大学時代から知っていたんですけど、印象深いのは卒業後にアメリカに行かれてプレーされていたことですね(※宮田選手は大学卒業後、NECに入社し、クラブチームでのプレーを経て2004年に渡米)。当時は日本の高校、大学を経てアメリカに行く選手ってあまりいなかったので。一緒にプレーできたのは1シーズンだけでしたが、同期の齋藤(豊)もいたり、思い出深いシーズンになりました。
――2009‐10シーズン、アルバルクでともにプレーしたおふたりは奇しくもそのシーズン限りでともにチームを後にしています。
宮田 退団した後は古巣のエクセレンス(現横浜エクセレンス)に復帰しましたが、当時はクラブチームでしたし、自分の中では一度キャリアに区切りをつけたタイミングでもありました。
五十嵐 僕自身もアルバルクでのシーズンは正直、満足いく結果を残すことができませんでした。自分のバスケ人生の中で初めて、いわゆる「戦力外」を通告されたシーズンでもありましたし、今振り返っても大きな転機になった1年だったなと。そういうシーズンをともに戦えたのは、今思えば良かったのかなって。
――おふたりがアルバルクでチームメイトだったシーズンから15年が経っています。2025年の今、B3という舞台でともに現役選手としてプレーしていることを、当時は想像できましたか?
宮田 それは、絶対できなかったですね(笑)。
五十嵐 僕も、もちろんできていないです(笑)。あの頃は、正直に言うと「もうそろそろ、バスケはいいかな」と思っていた時期でした。ただ、アルバルクをリリースされて改めて自分と向き合ったとき、バスケの大切さだったり、自分の中での存在の大きさに気付くことができた。それが、今も現役を続けている原動力のひとつになっているんじゃないかなって思うんです。
【第2回へ続く】
写真・TUBC提供
文・花田 雪
公開日:2025.03.05
