一休はなぜ、頓知を発揮したの?
一休といえば頓知話を連想される方も多いことでしょう。アニメ「一休さん」は海外でも放映されているので、明るく知恵者の少年一休のイメージは世界的なものといっていいかもしれません。しかし、実際の一休の青少年期は、そのように健全で明るいものではなかったようです。ちなみに、一休と名乗るのは25歳からで、少年時代の法名は周建でした。
一休は1394(応永元)年に京都で生まれました。後小松天皇の皇子ともいわれ、一休自身もそれを匂わせる和歌などを残していますが、確証はありません。6歳で出家し、17歳で西金寺の謙翁に師事しています。一休はこの謙翁に清廉な禅風など大きな影響を受けるのですが、21歳の時に死別しています。そのショックからか、この年、一休は自殺未遂をしています。
その後、近江国(滋賀県)堅田の祥瑞庵の華か叟宗曇に師事、悟りを開きます。しかし、その悟りを証明する印可状を焼き捨ててしまいました。一休が奇矯な行動をし、頓知を発揮するようになるのは、この頃からです。大きな朱鞘の大刀を腰に差して歩いたり、大事な法要の席に着古した衣で列席したりしたといいます。これらはみな格好ばかりで中身のない禅僧、とくに文化人気取りで浮世離れした生活をする堕落した五山の僧侶への皮肉でした。一休はこんな歌も詠んでいます。
「成仏は 異国本朝もろともに宗にはよらず 心にぞよる〈*〉」
こうした批判精神に満ちた生き様が庶民にうけ、頓知一休の伝説が生み出されたのです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』
監修:渋谷申博
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公開日:2021.08.17