なぜ、江戸時代に各宗派が葬式仏教化した?
日本では仏教と葬式はつきもののように思われていますが、もともとは仏教と葬式は無縁のものです。釈迦は弟子に葬儀に関わることを禁じていたほどです。日本でも飛鳥・奈良時代は僧や寺が葬儀に直接関わることはありませんでした。平安時代になると浄土信仰が広まり、臨終を迎えた人が心穏やかに死を迎えられるよう、その枕元で読経や念仏が行なわれるようになりました。
中世になると聖と呼ばれる民間の僧が、庶民の葬儀に関わるようになりました。 彼らは身寄りのない人の供養なども行ない、そうした行為を通じて仏教を広めたのでした。また、大寺院においても寺の創建や維持に貢献した人の葬儀を行なうようになりました。このように仏教(寺院・僧)と葬儀の関係は時代が下がるにつれて濃くなっていったのですが、江戸時代に入って大きな転換が起こりました。それは宗門改と寺請制度です。
キリスト教の禁止は豊臣秀吉の頃から行なわれてきましたが、江戸幕府も隠れキリシタンへの警戒をゆるめませんでした。徹底的な取り締まりを考えた幕府は、1640(寛永)年に切支丹奉行(宗門改役)を設置しました。 そして、すべての庶民に対し、檀那寺〈*〉の宗門改帳に生年月日や住所などを記載し、旅行や就業に際してはキリシタンではないことを証明する寺請証文を発行してもらうことを義務づけたのです。さらに檀家が死亡した時には檀那寺の僧が死体を検分することまで定められていました。これは事実上の檀那寺による葬儀の義務化といえ、ほとんどの寺院が葬式に関わることとなったのです。
出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』 監修:渋谷申博
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 仏教』
監修:渋谷申博
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公開日:2021.08.18