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21.春秋戦国を生き残り中国初の統一国家を建てる【世界史】

Text:鈴木 旭

秦王の「政」が始皇帝と称し中華帝国の先例を整える。

春秋戦国時代を勝ち抜き、生き残ったのは秦であった。前221年、秦は周(しゅう)(東周)を滅ぼし、中国史上初の帝国を樹立。秦王の政は自ら始皇帝と名乗る。これによって、中国の国家社会の原型となる根本が定まったと言ってよい。

秦が勝者となった理由の第一は、地の利を生かしたこと。黄河支流の渭水(いすい)流域という、最西端の辺境の地であったため、遊牧民族には悩まされたが、中原(ちゅうげん)の地で戦う諸国を遠くから観望し、戦乱の直接的被害を被ることは少なかった。そして、主敵を個別撃破して勝ち上がった。

第二には国造りを果断に実行したこと。身分・経歴を問わず、有能な人材を採用。衛(えい)出身の商鞅(しょうおう)に「変法」という内政改革を実行させたのが吉と出た。法治主義、度量衡(どりょうこう)の統一、開墾による農業奨励、中央集権のための郡県制実施などだ。これによって、富国強兵を実現する。

また第三には、宰相李斯(りし)の下で厳しい法秩序の実行を求める法家を重用し、儒家の反発を「焚書坑儒(ふんしょこうじゅ」で抑圧した。他にも文字や貨幣、車軸幅の統一などを実施しつつ、さらに北方遊牧民族の侵攻を防ぐため、土塁を修築し連結して「万里長城」(現存する長城は明(みん)代のもの)を造営した。

こうして「中華帝国」の出発点を築いた秦帝国であったが、厳しすぎる支配体制に対する不満が噴出し、始皇帝の死後、農民反乱を突破口にして各地で反乱が相次ぎ、やがて楚の項羽(こうう)と漢の劉邦(りゅうほう)の決起を招いたとき、前206年、秦は滅亡する。建国以来、わずか15年後のことだった。

厳しい春秋戦国時代を戦い抜き、勝ち上がり、生き残った秦帝国であったが、滅び去るのは早かった。先駆者の役目は終わったのである。

 

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
昭和22年6月、山形県天童市に生を受ける。法政大学第一文学部中退。地理学、史学専攻。高校が電子工業高校だったためか、理工系的発想で史学を論じる。手始めに佐治芳彦氏と共に「超古代文化論」で縄文文化論を再構成し、独自のピラミッド研究から環太平洋学会に所属して黒又山(秋田県)の総合調査を実施する。以後、環太平洋諸国諸地域を踏査。G・ハンコック氏と共に与那国島(沖縄県)の海底遺跡調査。新発見で話題となる。本業の歴史ノンフイクション作家として、「歴史群像」(学研)創刊に携わって以来、「歴史読本」(新人物往来社)、「歴史街道」(PHP)、「歴史法廷」(世界文化社)、「歴史eye」(日本文芸社)で精力的に執筆、活躍し、『うつけ信長』で「第1回歴史群像大賞」を受賞。「面白いほどよくわかる」シリーズ『日本史』『世界史』『戦国史』『古代日本史』はロングセラーとなる(すべて日本文芸社)。他に『明治維新とは何だったのか?』(日本時事評論社)、『本間光丘』(ダイヤモンド社)など著書多数。歴史コメンテーターとして各種テレビ番組にも出演。幅広い知識と広い視野に立った史論が度々話題となる。NPO法人八潮ハーモニー理事長として地域文化活動でも活躍中。行動する歴史作家である。

いま地球規模の「人類史」という観点からも注目され、一方で一般教養、知識としても人気が高い「世界史」。世界規模の歴史を学ぶ上で大切なのは、歴史を流れとして捉えること、歴史にも原因と結果があり「なぜ」そこに至ることになったのか大もとの理由を理解すること、そして見ただけで忘れないようにビジュアルで視覚的覚えること。本書ではさらにアジアや日本の歴史とその役割にも重点を置き、最新の発見や新しい史論を取り入れた、世界史の学び直しにも、入門にも最適な知的好奇心を満足させる1冊。

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