入団以降は実力社会。だが…
大相撲は“序列社会”である。力士は入門順に“兄弟子”“弟弟子”の関係になる。基本的に年齢は関係ない。
また大相撲は“序列社会”であると同時に“実力社会”でもある。番付が一枚違えば家来も同然、一段違えば虫けら同然――。こんな言葉もあるくらいだ。
大抵、どの力士に聞いても、「一番うれしかったのは十両に上がった時」と答える。なぜなら十両以上が「関取」であり、給金が支給されるからだ。力士のシンボルである大銀杏を結い、紋付袴を着ることこともできる。
年齢に関係なく、入門順に先輩、後輩が決まる大相撲に対し、プロ野球は学年順である。先輩には“さん付け”が基本だ。
もちろんプロ野球も、入団以降は実力社会だ。プレー面での評価は全て年俸に反映される。少なくとも報酬上での格差は大相撲以上である。
とはいえ、仮に年俸が500万円だからといって、5000万円もらっている後輩に“さん付け”する必要はない。学年順の先輩、後輩の関係は引退してからも付いて回る。
もっとも、昔は違っていた。古い話で恐縮だが、“ジャジャ馬”と呼ばれた巨人時代の青田昇は、6歳も年上でありながら、3カ月入団の遅かった藤本英雄に対し、「おい藤本!」と呼び捨てにしていた。自由奔放な言動で鳴らした青田らしいエピソードだ。
1965年から73年にかけて、巨人はⅤ9を達成した。一番打者は“赤い手袋”がトレードマークの柴田勲。
柴田より3年遅れで、立教大から土井正三が入団し、一、二番コンビを組んだ。
学年では土井が1年先輩だが、既にリードオフマンの地位を不動にしていた柴田が「土井さん」と呼ぶわけがない。「土井!」と呼び捨てにしていた。土井も「柴田さん」と呼んでいた。つまり、この頃はまだプロ野球界も大相撲方式だったのだ。
しかし、その後、緩やかに学年別の体育会方式に移行した。ある時、大学出の後輩が柴田に直談判した。
「柴田さん、1学年上の土井さんを“土井!”と呼び捨てにしていたんじゃ、示しがつきません。“土井さん”と呼んでいただけませんか」
困ったのは柴田だ。昨日まで呼び捨てにしていたのを、明日から“さん付け”するのは、いかにも体裁が悪い。
そこで、あいだをとって「土井ちゃん」「正ちゃん」と呼ぶことにしたのである。
いっそのこと米国方式、すなわち「イサオ」「ショーゾー」でよかったかもしれない。プロ野球の世界、今からでも遅くはないくらいだ。
初出=週刊漫画ゴラク2024年6月7日発売号