長嶋茂雄激怒事件。“ジョン損” の逆襲【二宮清純 スポーツの嵐】


“ポスト・ミスター”の期待も…
阪神の2年ぶり7度目の優勝を華々しく報じるスポーツ紙の片隅に、「デーブ・ジョンソン死去」という小さな記事が載っていた。享年82。
ジョンソンはオリオールズ時代、新人王と3度のゴールドグラブ賞に輝く名二塁手。1966年と70年のワールドシリーズ制覇にも貢献している。ブレーブスに移籍した73年には、キャリアハイとなる43本塁打、99打点をマークした。
そのジョンソンが巨人にやってきたのが75年。言うまでもなく長嶋茂雄が監督に就任したシーズンだ。
ジョンソンには“ポスト・ミスター”としての期待がかかったが、変化球を中心にした日本人投手の攻め方、慣れないサードの守備に適応できず、マスコミは“ジョン損”と書き立てた。
6月にはプロ野球記録(当時・野手)の8打席連続三振を喫した。
一向に本領を発揮しないジョンソンに対し、ミスターの言葉も日増しに厳しいものになっていった。
<女の子のようにナイーブで深刻に悩む姿はうら若き乙女に見えた。僕は「ジョン子ちゃん」と名付けた。>(『野球は人生そのものだ』長嶋茂雄著・日本経済新聞出版社)
1年目、ジョンソンの打撃成績は打率1割9分7厘、13本塁打、38打点。これでは“ジョン子ちゃん”と揶揄されても仕方あるまい。チームは球団史上初の最下位に沈んだ。
事件が起きたのは来日2年目の76年だ。4月の大洋戦で“カミソリシュート”の平松政次から右手親指に死球を受け、6月に米国の病院で診察を受けるため、一時帰国した。
これに業を煮やしたミスター、帰国直前の試合後、シャワーを浴びたばかりのジョンソンからバスタオルをはぎ取り、股間を指さしながら「ユー・アー・ウーマン!」と叫んだというのだ。
オマエは女か、というわけである。これには別の説も。
「ミスターはこう言ったと聞いている。“ドゥー・ユー・ハブ・ツーボールズ?”とね」(当時の球団関係者)
ツーボールズ? すなわち「オマエはキンタマぶら下げているのか!?」ということだ。
果たしてジョンソンは理解できたのだろうか。MLBのロッカールームでこれをやったら殴り合いは必至である。
ジョンソンの名誉のために言っておくが、2年目は負担の軽い「6番セカンド」に定着したことが幸いした。26本塁打を放って長嶋巨人初Ⅴに貢献したのだ。
MLBの指揮官としては86年にメッツを率いてワールドシリーズで優勝した。個性派軍団を束ねた統率力は一級品だった。
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