神仏分離令による流転の歴史を辿る 若王子神社の御神体が「長尾の薬師」と呼ばれた背景【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

果たして空海の流れを汲んだ工房の造仏なのか!

流転の歴史を重ねた小ぶりの一木彫像 ── 木造薬師如来坐像

 奈良国立博物館が所蔵する仏像彫刻の中でも白眉とされるのが「薬師如来坐像」(国宝)である。一見しただけで、瞼や頬の膨らみが強く、抑揚に富んだ顔立ち、耳の形、そして、彫り口の鋭い衣文の形は平安時代初期に顕著であった木彫りの特色が見られる

 中には、空海が「王城鎮護の官寺」として建立した大伽藍「教王護国寺」、つまり東寺の講堂諸尊像のうち、「五大明王像」(国宝)と似ていると指摘する専門家もあり、おそらく双方の尊像を制作した工房に共通した可能性があるのではないかと示唆する声も上がっている。平安時代初期に制作された仏像である。

 ところで、奈良国立博物館の所蔵に帰する前、もとは京都東山の若王子神社に伝来したとされているのだが、その若王子神社が創建されたのは永暦元年(1160年)で、それ以前の伝来はつまびらかではない。しかし、興味深いのは、同社が空海の弟子、真紹が開いた禅林寺の総鎮守だったといえばわかりやすくなる。やはり、空海の息の掛かった弟子たちの流れを汲む制作者集団の作だったと見ることができるのではないだろうか。見逃せない点である。

 しかも、その由緒ある尊像が、明治初年(1868年)の「神仏分離令」以来、若王子神社から移転し、二転三転して昭和36年(1961年)、奈良国立博物館の所有となった。神と仏が一体化し、怪しく織りなす習合の美学を地でいく尊像であったという制作以後の流転の軌跡は、文字通りの奇跡だが、一見を要する仏像ではないだろうか。像高50cmの小ぶりの仏像ながら、見た目にはどっしりした体躯に、大きくくっきりした目鼻立ちの安定した仏像と感じるのである。

神仏習合=古代以来、日本古来の神道とインドに発祥した仏教に中国の道教が融合し、1つの信仰体系となり、再構成された宗教的現象。神と仏は一体であるとされる。

木造薬師如来坐像

 薬師如来坐像は居場所の定かではない仏像だった。9世紀に造像されたとされるが、京都東山の若王子社のご神体として祀られるまで行方がわからなかったのだ。若王子社は後白河法皇が熊野三山を勧請して創建したといわれる京都三熊野の1つで、熊野若王子神社ともいう。後白河法皇は12世紀に生きた方なので、如来坐像の置かれた場所がはっきりしたのは、若王子社に安置された、このときとなった。

 ところが、明治初年(1868年)の神仏分離令により、一時期同社神官の所有となる。その後も落ち着くことがなく、数人のコレクターの手に渡った。国宝指定は昭和28年(1953年)。当時は長尾家の長尾美術館が所蔵していたため、通称「長尾の薬師」といわれていた。

 国有となったのは昭和32年(1957年)のこと。数奇な変遷を経て奈良国立博物館所蔵となったのは昭和36年(1961年)である。居場所が転々としたのは、像高54cm弱の小ぶりの坐像のため移動しやすかったことに因があったのかもしれない。

木造薬師如来坐像

昭和28年(1953年)に国宝指定/奈良国立博物館所蔵

薬師如来坐像は一躯木造彩色の像。一躯とは仏像などの立体的な像を数える数字で一体と同じ。日本で自生しないインドや東南アジアに原生する白檀の代用として使われた榧から丸彫りした坐像で、木彫像を内刳しない(木像内部を刳り抜かない)技法による一木彫像。インド仏像に類似したはっきりした顔立ちや切長の眼、材質を活かした鋭利な彫り口の翻波式衣文は平安初期に典型する特徴。平安時代初期・9世紀の造像。像高49.7cm。


にゃん太:薬師如来坐像は、ずいぶん小さいんだね。
わん爺:1本の木から彫り出す一木造りだと大きな仏像をつくるのがむずかしかったからかな。一木造りは飛鳥時代にはじまり、平安時代初期に全盛期を迎えた日本独自の技法だ。だから、この時代の一木造りは貴重なんだの。
にゃん太:なんか彫り方は空海さんの影響があるかもっていうけど……。
わん爺:うむ、そうだの、若王子神社が空海の弟子、真紹が開いた禅林寺の総鎮守社だという。そんなわけで薬師如来坐像は空海の影響を受けたとの見方があるんだのう。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』
著:鈴木 旭


【Amazonで購入する】

国宝は「重要文化財のうち世界文化の見地からも価値の高いもの、類いない国民の宝」と定義され、現在1144件(2025年)が認定されている。
普賢菩薩像から伊藤若冲までの「絵画」、弥勒菩薩半跏思惟像など「彫刻」、日本刀などの「工芸品」、銅鐸・金印・古墳出土品などの「考古資料」、中尊寺金色堂など「建造物」、「書跡・典籍」、「古文書」、「歴史資料」の8分野がある。
本書では、歴史的背景や、史実にもとづきながら、見所、詳細な情報を掲げ、丁寧に解説。
知っておきたい、興味深い国宝を中心に、写真ではわからない驚きや不思議・謎に踏み込んで紹介する。

この記事のCategory

オススメ記事

【縄文のミステリー】なぜ土偶は「奇怪な姿」なのか?国宝の女神たちに込められた命がけの願い【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

「115文字」の金文字が浮かび上がった、サビた剣が国宝になった理由とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

岡本太郎も絶賛の、新潟県で出土した縄文時代の芸術的土器とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

解読不能の48文字が刻まれる国宝「時代を写す鏡」銅鏡とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

菩薩は56億年後の未来に現れる!? スフィンクスやモナリザと並ぶ三大微笑「弥勒菩薩半跏思惟像」【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

聖徳太子の妃が描いた理想郷? 太子逝去の悲しみを「天寿国」の刺繍に昇華させた理由と【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

神々の遊ぶ庭「カムイミンタラ」の聖遺物!? 旧石器時代の石器が日本最古の国宝に【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

本物のタマムシ5000匹の翅を使った!? 推古天皇が愛した「玉虫厨子」の秘密【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

求人情報

インフォテキストが入ります