龍造寺隆信は、兵の数で勝りながら、なぜ敗死したのか?【戦国武将の話】

島津軍の得意戦術「釣り野伏」に敗れた
龍造寺(りゅうぞうじ)氏は肥前(ひぜん)の一地方勢力。隆信(たかのぶ)は家督相続から縁遠いと見なされ、7歳のときに出家する。しかし、隣接する少弐(しょうに)氏の手で一族の多くが謀殺されたことから、思いがけず還俗させられ、20歳で龍造寺氏の惣領(そうりょう)となった。名前の「隆」の字は周防(すおう)の大内義隆(おおうちよしたか)からもらったものである。
主君の大内義隆が陶晴賢(すえはるたか)の下剋上で倒れたとき、隆信も居城である佐嘉(さが)城を追われたが、2年後、陶晴賢を倒した毛利元就と結び、永禄2(1559)年には仇敵である少弐氏を滅ぼすことに成功した。
時に九州北部では大友宗麟の勢力拡大が著しく、その矛先は肥前にも向けられた。
兵の数では圧倒的に劣る龍造寺側は佐城に籠(こ)もり、なかなか策を決められずにいたが、隆信の母・慶誾尼(けいぎんに)檄を飛ばされるや腹を決め、重臣の鍋島信昌(なべしまのぶまさ)(直茂=なおしげ)に今山(いまやま)大夜に陣を構える大友軍に対して夜襲を敢行させた。結果は、龍造寺軍の圧勝。これに勢いを得た隆信は宗麟と有利な条件で和睦を結び、後顧(こうこ)の憂いを断った上で有馬晴信を降伏させ、天正6(1578)年には肥前一国をほぼ統一することに成功した。
その後も破竹の勢いは続き、「五州二島の太守(たいしゅ)」と称され、大友宗麟と島津義久と3人で九州を3分するまでになるが、それが限界でもあった。
隆信は天正12(1584)年の沖田畷(おきたなわて)の戦いで島津義久に兵の数で大きく勝りながら、島津が得意とする「釣(つ)り野伏(のぶせ)」の戦術に嵌(は)められ、あえなく命を落とす結果となった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男 日本文芸社刊
執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。

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