現存する最後の純日本式城郭“松前城”、数時間で陥落した悲しい歴史とは【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】


単独での北海道防衛は無理と見なされ2度も領地を召し上げられた松前藩
一度は復帰するも築城の2年後に転封
アイヌと和人との交易は、鎌倉時代末期から行われていました。しかし、室町時代の康正3年(1457)、渡島半島一帯のアイヌと和人との間でコシャマインの戦いが勃発。和人の武将である武田信広が東アイヌの首長コシャマインを殺害して制圧し、松前藩の礎をつくりました。
その後、慶長9年(1604)に、徳川家康からアイヌ交易の独占権を認められて松前藩が成立。当時、蝦夷地では米がとれなかったため、松前藩には石高はなく(のちに1万石格)、アイヌの漁獲物を交易して利益を得ていました。特に近江商人とのつながりは強く、松前藩は北前船交易によって繁栄。しかし江戸時代末期、ロシアの南下政策を警戒した江戸幕府は、松前藩単独の力では蝦夷地(北海道)の防衛は難しいと考え、段階的に領地を召し上げていき、文化4年(1807)、松前氏は 陸奥国梁川(現・福島県伊達市)9000石に転封となりました。
それから14年のちの文政4年(1821)、藩は松前に復帰し、幕府の命により松前城(福山城)を築城。この北方防備のため築かれた松前城は、現存する最後の純日本式城郭と言われています。
ところが、城が完成した翌年の安政2年(1855)、箱館(函館)開港にともない松前藩は再び召し上げられ、梁川に出羽国東根を加えた3万石に転封されました。
旧幕府軍の攻撃により落城した松前城
土方歳三らの攻撃を受け落城
北方防備のため幕府の命により築かれた松前城でしたが、この城が外国勢力との戦いで使用されることはありませんでした。そして明治元年(1868)、新政府軍に恭順の意を示していた松前藩は土方歳三らが率いる旧幕府軍の攻撃を受け、松前城はわずか数時間で陥落しました。
『時明治元戊辰ノ夏旧幕ノ勇臣等東台ノ戦争破レ奥州ヘ脱走ナシ夫ヨリ函館ヘ押渡再松前城ニ於テ合戦ノ図』(国立国会図書館蔵)。明治元年(1868)、松前城は土方歳三率いる旧幕府軍に攻め落とされたが、翌年、新政府軍が奪回した。

その後の松前城
明治維新後、松前城は新政府の手に渡りほとんどの建物が破却されましたが、残された天守や本丸御門などは昭和16年(1941)に旧国宝に指定されました。しかし、昭和24年(1949)に天守が焼失。現在の天守は、昭和36年(1961)に再建されたものです。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』
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