横穴掘りがまさか「世紀の国宝発見」に! 明日香村から飛び出した極彩色壁画と飛鳥美人【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

明日香村から飛び出した驚天動地の極彩色壁画!

唐文化が色濃く浮かぶ墓の主は皇族か ── 高松塚古墳壁画

 高松塚古墳の彩色壁画が発見されたのは、昭和37年(1962年)ごろ奈良県高知郡明日香村の村人が、生姜の貯蔵庫をつくろうと山の麓で横穴を掘ったところ、石の壁に突き当たったことが発端となる。この椿事を昭和45年(1970年)、明日香村役場が奈良県立橿原考古学研究所に連絡。

 同所が昭和47年(1972年)に発掘調査すると、古墳石室の中から鮮やかに彩色された壁画が現前する。古墳は鎌倉時代に盗掘を受けていたものの、壁画は損傷を受けず、考古学史上、まれに見る大発見となった。

 明日香村は、聖徳太子が自ら建てたという橘寺や蘇我馬子(551〜626年)の発願で創建された日本初の本格的寺院と伝わる飛鳥寺、草壁皇子(662〜689年)の宮跡に建てられたという岡寺がある場所。この古墳は飛鳥文化が凝縮された地域で発見されたわけだ。

 そればかりではない。明日香村ののどかな丘陵一帯にはいまだに意味不明の巨石文明の跡がそのまま残されている。酒船石、益田岩船、亀石、そして曾我馬子の古墳と伝えられる石舞台古墳などである。極めつけは、俗に「白亜のピラミッド」と呼ばれている牽牛子塚古墳だ。八角形の石造古墳で、石室が巨大な凝灰岩をくりぬいて左右2つの墓室をつくっている。まるで益田岩船とそっくりの形をしているので話題になった。

 そんな地域にある高松塚古墳は、昭和58年(1983年)に石室天井に4つの方位を司る”四神”と”十二支像”を描く壁画が発見されたキトラ古墳と1.2kmほどの場所にあり、ほぼ同時代の壁画。そうして極彩色の「飛鳥美人画」(国宝)は世間に大ブームを巻き起こした

巨石文明の跡=なぜか、明日香村の丘陵一帯に遺されている巨石文明の遺跡。現代科学では解明できない超古代文明(超能力文明)の遺産といわれている。


高松塚古墳壁画/西壁女子群像

高松塚古墳石室。古墳は二段式円墳で上段直径18m、下段直径23m、高さ約5m。石室には棺や副葬品を入れる石棺式石室があり、長さ約2.6m、幅約1m、高さ約1.1mで、壁画が描かれている。石室内からは副葬品の大刀の金具、海獣葡萄鏡、ガラス製と琥珀製の玉類のほか、棺に使われた金銅製装飾金具などが出土

高松塚古墳壁画/西壁女子群像

昭和49年(1974年)に国宝指定 / 奈良県高市郡明日香村(国営飛鳥歴史公園内)

高松塚古墳の被葬者は7世紀末から8世紀にかけての皇族級かそれに近い人物と見られている。古墳最大の特徴は、石室の壁画が日本で初めて発見された極彩色壁画であること。壁画には青龍・朱雀・白虎・玄武の四神、人物衣装、星宿図が描かれているために、中国の唐、朝鮮半島の高句麗など東アジアから受けた影響と文化交流が証明されることだ。

発掘は国家プロジェクトとして文化庁が引き継ぎ、昭和48年(1973年)特別史跡、翌年国宝指定となった。高松塚古墳は飛鳥時代後半となる藤原京時代(694〜710年)の二段式円墳で、直径下段23mと上段18m、高さ約5mの古墳時代終末期の築造。

<被葬者に仕える女官>

東壁と西壁に4人一組の男女群像が描かれる。特に西壁の女人群像は鮮やかな色彩が残っていたため「飛鳥美人」と称された。


<天井には中国の占星術に基づいた28宿に分けた星宿図が描かれる>

棺/ 鎌倉時代に盗掘破壊されたが、黒漆塗り木棺・金銅製透かし彫り金具などで装飾されていたと推定し、令和5年(2023年)、長さ約2m、幅約60cmで復元。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

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