「内臓」入りの仏像!? 1000年前の”五臓六腑”が明かす「生身のお釈迦様」の正体【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

京都清凉寺で「生身のお釈迦様」に会える?

異彩を放つ顔と姿形の仏像 ── 釈迦如来立像

 京都には国宝や重要文化財に指定された仏像が数多くある。中でも異彩を放つのが清凉寺の「釈迦如来立像(しゃかにょらいりゅうぞう)」(国宝)だろう。高さ362cm。それが縄を結んだような頭髪、大きな眉と引き締まった鼻筋、体に張りついた水紋のような薄衣など、見慣れたわが国の仏像とは異なった姿形となっている。仏教美術とギリシア文化の融合地点として知られるガンダーラの仏像によく似ているため、古来より評判になった。

 その理由ー中国の宋時代(10〜13世紀)、天台山を巡礼した東大寺の僧、奝然(ちょうねん)(938〜1016年)が帰国し、愛宕山を天台山に見立てて寺院を建立しようとしたが果たせず、弟子盛算(せいさん)(932〜1015年)が長和5年(1016年)、棲霞寺の境内に清凉寺を建て、師匠の奝然が中国から持ち帰った「釈迦像」を寺の本尊として安置した。

 ところが、その仏像に曰く因縁があった。奝然が天台山を巡礼中、仏教を保護した古代インドの優填王(ウダナヤおう)(紀元前6世紀ごろ)が在りし日の釈迦の姿を彫らせた仏像が、どういうわけか中国に持ち込まれていた。奝然はその仏像に出会った感動のあまり、中国の仏師に模刻させ、日本に持ち帰ったという。

 この言い伝えには裏話がある。一説に曰く、奝然は本物の釈迦像と自分が模刻させた仏像をすり替えて、本物の釈迦像を持ち帰ったのだと。すると清凉寺の釈迦如来立像は、優填王が生前の釈迦の姿を彫らせた仏像になる。それが、もし事実ではなかったとしても経過を知れば、古代ガンダーラの仏像に似ているのはもっともであり、異国情緒に陶然として見入るのも当然だったのである。

 後日、「五臓六腑」の模型が発見された

五臓六腑の模型=背中の蓋を開けたところ見つかった。これには「雍煕2年」(985年)と中国・宋時代の年号が刻まれており、当時の医学水準を知る重要な史料になっている。


釈迦如来立像

清涼寺 釈迦如来立像

昭和30年(1955年)に国宝指定 / 京都市嵯峨清涼寺所蔵

清涼寺の釈迦如来立像は、中国・北宋時代985年ごろの作で像高162cm。釈迦の姿そのものを模した彫像とされ、「生身の仏」「三国伝来の生身釈迦」と呼ばれている。特に胎内に絹製で内臓に似せた模型が入っていたり、口の奥に釈迦の歯の遺骨である仏牙を挿入した際に出血があったとの伝説が生まれたり、しかもインド・中国・日本の三国を伝わった釈迦像だということで、広く信仰を集めた。通称「清凉寺式釈迦像」と呼ばれ、鎌倉時代以降、多くの模刻釈迦如来像がつくられるようになった。

<釈迦如来立像胎内の五臓六腑>

釈迦如来像の胎内に内蔵模型を納める慣習は、中国仏教美術に特有の仏像に精神と生命を宿す意味を持つ。


にゃん太:清涼寺の釈迦如来像は「ガンダーラ様式」っていうけど、それってなんなの?
わん爺:「ガンダーラ様式」は、西洋人風の顔立ち、ウェーブのかかった髪などが特徴的だ。ギリシア文化の影響を受けた彫刻にインド仏教美術が結合したスタイルで、人間らしい姿に仕上げるんだな。で、古代インドの優填王が釈迦に似せて彫らせ、それが中国に渡来したので模刻したという。それがホントなら、清涼寺の釈迦如来像は実際の釈迦の姿に相似たり、となる。すごいといえば、それがすごいんだの。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

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