豊臣秀吉、最期の夢の跡。三宝院唐門に刻まれた「菊」と「五七の桐」が語る天下一の華やかさ【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

「菊」と「五七の桐」の金箔御紋が映える平唐門!

安土桃山文化を代表する木造建築物 ── 三宝院唐門

 「三宝院唐門」(国宝)は慶長4年(1599年)、豊臣秀吉(1537〜1598年)が催した「醍醐の花見」の翌年、門跡寺院・三宝院に勅使を迎える際に特別に使用される門として建造された。三間一戸の門で檜皮葺。大きさは幅約6.3m、高さ約5.9m。安土桃山時代を代表する木造建築物となっている。

 唐門全体が総黒漆塗りで、門扉の表と裏にそれぞれ「菊」と「五七の桐」の大きな御紋が透かし彫りにされ、金箔が施されていた。しかし、平成20年(2008年)4月、落雷により損傷。1年半の修築工事を経て再現されたのが現在の唐門で、光沢のある金箔御紋が目に眩しい。往時の華やかさを彷彿とさせる。

 ところで、唐門は醍醐寺総門を通って左手に設置されており、三宝院の多くの建造物の中でも重要な表書院に直接出入りする特別の御門である。というのも、表書院は寝殿造りの様式を伝える安土桃山時代の代表的建造物で国宝に指定されており、そこで目にする三宝院庭園は国の特別史跡・特別名勝となっている。その庭園を見渡せる絶好のポジションを占めているのが唐門なのだ。

 三宝院庭園は「醍醐の花見」に際して秀吉自ら設計した名園だという。表書院は、そのときに奈良から移築した能の楽屋を再利用したVIP専用の観客席となる建造物であり、唐門と表書院の三宝院庭園はワンセットのこの上もない最上の空間となっている。

 その三宝院は真言宗醍醐派の大本山かつ総本山醍醐寺の本坊だ。また、醍醐寺座主(ざす)が兼ねる真言宗醍醐派の管長の居住する猊座(げいざ)であり、現在も門跡寺院である。

醍醐の花見=天下統一を果たし、頂点に立った豊臣秀吉が、権力誇示のために畿内から約700本の桜を集め、全国諸大名を招集して醍醐寺において挙行した、盛大な花見行列。

醍醐寺 三宝院唐門

三宝院の唐門は三間一戸の平唐門。四角い柱角を斜めに削り取った面取方柱の主柱の上に冠木を載せて横に貫き、男梁で軒桁を支える構造

醍醐寺 三宝院唐門

昭和29年(1954年)に国宝指定 / 京都市伏見区醍醐寺内

 慶長3年(1598年)3月15日、豊臣秀吉が「醍醐の花見」を催し、同年9月18日に死去したが、「三宝院唐門」は秀吉死後の翌年に建造された平唐門で桃山時代を代表する木造建築物。建造当時は三宝院の屏中門としていまより少し北側に建てられたが、その後、慶長20年(1615年)と安永年間(1772〜81年)の2度の移築によって現在の場所に定着した。国の特別史跡・特別名勝の三宝院庭園は「醍醐の花見」に際して秀吉が基本設計したもの。

 また、庭園全体を見渡せる国宝の表書院は桃山時代を代表する寝殿造様式。唐門は唐破風屋根に特徴的な曲線を持つ平唐門で、同じく桃山時代の様式をいまに残す代表的な門の1つ。三間一戸平唐門・檜皮葺、大きさは幅約6.3m、高さ約5.9m。


にゃん太:三宝院の表書院や唐門は国宝というけど、醍醐寺にはほかにも国宝はあるの?
わん爺:おお、あるぞ。五重塔、金堂、仏像では薬師如来と両脇侍像、古文書では理源大師筆処分状などがあるの。特に五重塔は平安時代の承平6年(936年)に朱雀天皇(923〜952年)が着工を命じ、天暦5年(951年)、村上天皇(926〜967年)下に完成した、京都では最古の木造建築だそうだ。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』
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