日本初のコーヒー愛飲者は武士だった!? 宗谷で始まったコーヒー愛飲物語【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】
 
 
日本で最初にコーヒーを愛飲したのは宗谷に派遣された武士たちだった
病気予防のため支給されたコーヒー
日本に初めてコーヒーを持ち込んだのは、長崎・出島のオランダ商人たちだったと考えられています。文化元年(1804)には、狂歌師・御家人の大田南畝(おおたなんぽ)がコーヒーを飲んで「焦げ臭くて味に勘ず」と書き残しました。その後、一部の蘭学者がコーヒーに関する著述を残したり、シーボルトが長寿をもたらす良薬として宣伝したりしましたが、日本では長らくコーヒーが普及することはありませんでした。
日本で初めて、コーヒーを日常的に飲むようになった人々は、北方警備のため宗谷に派遣された東北各藩の藩士たちだったと言われています。
文化4年(1807)、まず、津軽藩士230名が宗谷に派遣されましたが、厳しい寒さや栄養不足が原因で水腫病(顔や腹がむくみ苦しみながら死ぬ奇病)にかかり、多数の死者を出しました。これを問題視した幕府が、水腫病を予防する薬として北方警護に従事する人たちにコーヒーを支給したところ、水腫病になる人はいなくなったといいます。これが、日本で庶民がコーヒーを飲むようになった始まりとされます。そして明治維新後、欧米の食文化の普及とともに、日本でもコーヒーを飲む習慣が広まっていきました。
現在、稚内市内にある宗谷公園には、コーヒーを飲めずに亡くなった津軽藩士たちを悼む「津軽藩兵詰合の記念碑」があります。
コーヒーを飲めずに亡くなった藩士たち

▼宗谷公園にある「津軽藩兵結合の記念碑」。コーヒーを飲めずに亡くなった津軽藩士を悼んで建てられたもので、コーヒー豆の形をしている。津軽藩士の故郷である弘前市の有志が中心となり、平成4年(1992)に建立された。

▼稚内の観光スポットとして人気の「白い道」。この道を海に向かって下りきった先に「津軽・会津・秋田藩陣屋跡」がある。写真中央の山は利尻山(利尻富士)。

北海道のご当地飲料
北海道は「ご当地ドリンク」の宝庫としても有名。特に道民に親しまれているのが、雪印メグミルクが製造する乳酸菌飲料「雪印ソフトカツゲン」、ポッカサッポロが製造する炭酸飲料「リボン ナポリン」、コーラが広まる前から道民に親しまれていた「コアップガラナ」(多数のメーカーが製造)などです。
雪印ソフトカツゲン(雪印メグミルク)

リボン ナポリン(ポッカサッポロ フード&ビバレッジ)

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲
【書誌情報】
 『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』
 監修:和田 哲
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