何故か墓から出てこない、誰も用途を知らない謎の遺物とは?【眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話】

権力者に縁がない? 不思議で謎の遺物

果たして弥生中期の祭器か楽器か「銅鐸」

 「銅鐸」――それは実に謎めいた文化財である。銅剣や銅矛と同じ青銅器であり、釣鐘型の楽器(弥生中期)であることは突き止められているが、誰が、何のために制作し、いかに使用されたのか、はっきりしないという奇妙な文化財である。

 土器や石器ならば、制作時と使用時の、時と場所を1つにして型式を特定し、出処進退を明らかにして文化史的位置付けができるのだが、銅鐸は移動性があり、あいまいな伝承以外に必要情報が与えられていないので評価が困難なのだ。

 ほとんどの場合、人里離れた場所で、あたかも隠匿されたような人為的埋置状態で発見されている。それでも発見地点が明らかな銅鐸は500個近く、不明な銅鐸を加えると600個に及ぶのだが、1個たりとも墓地の副葬品として発見された例はない。権力者には縁がないようだ

 ところが、そのルーツを求め、祖型を探っていくと古代朝鮮の小銅鐸に行き着く。見たところ、古代朝鮮の小銅鐸は実用的な装飾品としての馬具であり、族長の宝器であり、死するとき、墓の副葬品として埋蔵されている。権威の象徴としての楽器だった。

 だが、日本に伝来したときそうはならなかった一時は同じように用いられたかもしれないが、やはり、隠匿処分されている。それを彷彿とさせる事例が、農道工事中に発見された島根県雲南市の加茂岩倉遺跡の39個体の銅鐸(国宝)だった。

 調査の結果、39個体におよぶ銅鐸の大量埋納は1世紀半ば、つまり倭国大乱が一時収束し、いわゆる「倭の奴国」が後漢に朝貢した時機に一致することがわかった。何か、急激な情勢変化があり、隠匿せざるを得なかったのかもしれない。

銅鐸が最初に発見されたのは天智天皇7年(668年)らしい。天皇は「宝鐸」といいながら、用途がわからず「奇異なもの」としている(扶桑略記 第五)。

加茂岩倉遺跡出土 銅鐸

昭和26年(1951年)に国宝指定/島根県立古代出雲歴史博物館所蔵

 平成8年(1996年)10月14日、島根県雲南市加茂町岩倉の農道工事現場より弥生時代(約3000年前〜紀元200年中ごろ)中期から後期と思われる大量の銅鐸が出土。一か所の出土としては全国最多の39個が確認。

 出土した銅鐸は弥生時代中期ごろ作成の古い形式のものと、新しい形式のものとがある。銅鐸とは弥生時代の青銅器の1つだが、使用目的はいまだに謎に包まれている。

銅鐸は大小さまざま

銅鐸も大きさはいろいろで、例えば近江地方で出土した銅鐸では、日本最小のものが下鈎遺跡3.5cm、日本最大のものが大岩山銅鐸の135cm。銅鐸は釣鐘型の青銅器で、およそ紀元前2世紀〜2世紀までの400年間に制作されている。内部に吊るした棒を揺すって鳴らしたと思われる。これまで遺跡からは500個ほど、出土地の不明なものまで含めると600個ほどの銅鐸が発見されている。


にゃん太:「銅鐸」って、なんかお寺の釣鐘のような形をしているね?

わん爺:うむ、じゃが釣鐘よりはずっと小さいのう。小型のものは小銅鐸といって10cmほどだし、一般的には20〜50cm、大きなものでも1m以上ぐらいらしいぞ。

にゃん太:だけど、銅鐸はなんのためにつくられたのかな?

わん爺:それがよくわからんのじゃな。まぁ、古代中国では青銅器の楽器だったらしいが、弥生時代には鐘のように吊るして音を鳴らしたのではないかと推測されているが、用途はわからないというぞ。だから、何がすごいのかがはっきりしないのかものう。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 国宝の話』著:鈴木 旭

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