「悪いことしてもどうせ救われる」は間違い!誤った解釈の「本願ぼこり」とは?【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


薬があるからといって毒を飲んではいけない
「最後は救われる」からと悪い行いを肯定することを「本願ぼこり」と言います。阿弥陀仏の救いを間違って解釈していることについて、厳しく戒めたことを第十三条では書かれています。
阿弥陀仏はすべての人たちを平等に救いたいと思っています。しかしその思いを間違って解釈し「どんな悪いことをしても阿弥陀仏は救ってくれる」と考えるのは大きな間違いです。それは阿弥陀仏の思いを自分の都合の良いように解釈しているに過ぎません。この世には、過去の行いによって現在の自分に影響を与える力があります。これを「宿業」と言います。
善い行いをしようと考えたり、悪いことをしてしまうのも「宿業」によるものです。つまり私たちは、自分の力だけでは善悪をコントロールすることができないのです。
誰かを傷つけるような悪いことをしてしまったとします。しかし「どうせ阿弥陀仏が救ってくれるから」という理由からまったく反省しなかったらどうでしょうか。それは「薬があるから毒を飲んでも大丈夫」というのと同じくらい愚かなことなのです。
薬があるからといって毒を飲んでいいことにはならないのです。
「阿弥陀仏の救い」も同じように、救ってくれるからといって、悪事をはたらいていいわけではありません。間違ったことをした自分を反省し、二度と繰り返さないようにする人のために「阿弥陀仏の救い」があるのです。「どうせ救われる」という安直な考えを持つことは、「阿弥陀仏の救い」から自分を遠ざけ、人としての成長も妨げることになります。
「最後は救われる」のだから悪い行いをしてもいいという、誤った解釈の「本願ぼこり」!

どんなに悪いことをしても阿弥陀仏が救ってくれると考えることは、阿弥陀仏の思いを自分勝手に解釈しています!

悪いことをしても反省せず、阿弥陀仏に助けを求めるのは「薬があるから毒を飲む」ような愚かな行為です。
ワンポイント !
天台宗の僧侶だった聖覚が、法然の弟子になりその後に著した書物に『唯信鈔(ゆいしんしょう)』があります。聖覚は親鸞が法然と出会うきっかけを作った人物です。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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