助っ人外国人列伝/バファローズ編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ名選手10名を紹介する。
チャンスで結果を出す頼れる助っ人!李大浩
【10位】李 大浩(イ・デホ)
〈NPB通算データベース〉
打率 .293
・本塁打 98本
・打点 348打点
韓国で実績を積んで満を持して日本へ
昨シーズンにリーグ3連覇を果たし、無類の強さで球界の盟主となったオリックス。だが、それ以前は長い低迷期を抜け出せず、2000〜2020年までにAクラス入りしたのはたったの2回だけであった。
そんな低迷期真っ只中の2012年にオリックス入りしたのが李大浩(イ・デホ)だ。1982年に韓国の釜山で生まれた李大浩(イ・デホ)は、幼いときに父が死去。家庭は貧しかったが野球好きの少年で、世界青少年野球大会の代表の選ばれたことがある。
高校卒業後の2001年、韓国球界のロッテ・ジャイアンツに入団。はこの頃から体重100キロを軽く超える巨漢体型だったため、膝や肩の故障を抱えてのプロ入りだった。
そのため、ロッテの監督で日本ハムなどの助っ人として長年活躍した白仁天から減量を命じられ、しばらくは二軍暮らしに甘んじてしまう。
その後、レギュラーに定着して頭角を現し始めた李大浩(イ・デホ)は、2006年に首位打者、本塁打、打点でタイトルを獲得し、韓国球界で22年ぶりの打撃三冠王に輝いた。
2008年は北京オリンピックの韓国代表として出場。大会最多の3本塁打を放つ活躍で金メダルに導き、2010年のシーズンは打率.364、44本塁打、133打点の圧倒的な数字で韓国球界初となる2度目の三冠王という快挙を達成。
いつしか韓国球界の顔となった李大浩(イ・デホ)は、2012年に海外FA権を行使してオリックスに入団した。
勝負所で決める仕事でチームを鼓舞
来日時の李大浩(イ・デホ)は120キロを超え、レフト方向の本塁打が多いことから強振で引っ張るプルヒッターといった評価を受けていた。
しかし、実際の李大浩(イ・デホ)は巨体に似合わない器用なバットコントロールを得意とし、そのときの場面で広角に打ち分けることができる技術を兼ね備えていたのだ。
開幕4番に座った2012年の李大浩(イ・デホ)は、春先こそつまずくも、5月から勝負所で本来の力を発揮する。ヤクルトのトニー・バーネットや広島の岸本秀樹から試合を決める一打を放つなど、5月は月間打率.322、8本塁打、19打点の活躍で月間MVPを獲得。
以降も随所で勝負強い打撃を披露して7月にも月間MVPに輝き、4番打者としてフル出場をしている。シーズン成績は打率.286、24本塁打、91打点で打点王に輝いた。
打率と本塁打が物足りないように思える数字だが、この結果は李大浩(イ・デホ)がチームプレー優先の打撃をしていたからだ。明らかに一発を狙っているときの集中力はすさまじく、配球を読み切っての豪快弾は実に爽快だった。
翌2013年もチームのために全力プレーを見せた李大浩(イ・デホ)。チャンス時に結果を出す頼れる助っ人として躍動し、前年と同等の成績を残している。
なお、同シーズンは西武戦で厳しい内角攻めで死球を投じた野上亮磨にヒートアップしたり、三振の判定をめぐる球審への抗議で退場騒ぎを起こしているが、これも真剣プレーをしていた表れであろう。
日本からメジャーに羽ばたき、古巣で現役を終える
2014年からは2年9億円の大型契約を結んでソフトバンクでプレーする。
ソフトバンクでの2年間も打撃の中軸としてクリーンアップを務め、2015年は打率.282、31本塁打、98打点のキャリアハイの成績を収める。
また、李大浩(イ・デホ)の真骨頂ともいえる勝負所での強さは相変わらずで、阪神とヤクルトを相手に行われた日本シリーズでは、試合を決定づける本塁打と安打が光った。
とくに2015年の対ヤクルト戦では、5試合で16打数8安打2本塁打という圧巻の打棒で2年連続日本一に導き、韓国人選手初の日本シリーズMVPに選ばれている。
さらにはシーズンオフに開催された2015WBSCプレミア12では、韓国の4番として全試合に出場。広角に打ち分ける李大浩(イ・デホ)のバットが冴え渡り、ドミニカ、日本、アメリカなどの強豪を制して優勝に貢献した。
この実績を引き下げ、2016年はメジャーのマリナーズでプレーし、2017〜2022年までは古巣・ロッテの中軸として40歳まで現役を続けている。
2023年5月、李大浩(イ・デホ)はソフトバンク戦にゲストとして招かれ、セレモニアルピッチで元気な姿を見せた。コンディションも良好なことからもしかすると電撃的な現役復帰もあるかもしれない。
公開日:2024.01.27
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