【コラム】大谷翔平の宿題 未熟捕手を育成【二宮清純 スポーツの嵐】

頑張れ先輩、頑張れ後輩!!

 温厚な大谷翔平(ドジャース)が、マウンド上であれほど不機嫌な表情をするのは珍しい。余程、腹に据えかねたのだろう。

 さる6月24日(現地時間)、敵地でのツインズ戦。「1番・DH兼投手」で出場した大谷は6回5安打3失点の好投で、8勝目をあげた。

 しかし、満足のいく内容ではなかったようだ。原因は昨季、MLBに昇格したばかりの25歳の捕手ダルトン・ラッシングの未熟さにあった。

 2回、1死満塁の場面で9番ライアン・クライドラーに投じた内角ストレートは、自己最速タイの101・7マイル(約163・7キロ)。

 ところが、ラッシングはこれをミットにおさめることができず、三塁走者が生還した。

 なおも1死二、三塁。大谷がカウント1―1から投じたスイーパーは、内角低めのストライクゾーンをよぎったように見えた。

 だが、判定はボール。本来なら、一番近いところで見ていたラッシングがABSチャレンジを要求しないといけないはずだが、首を振って「低い、ボールだよ」と気のないゼスチュア。

 業を煮やした大谷がチャレンジした結果、判定はストライクに。気性の荒い投手なら、「オマエ、どこに目を付けているんだ!」とどやし付けていたに違いない。

 サインを巡っても息の合わない大谷は、クライドラーに2点タイムリーを浴び、この回3点を失った。

 試合後、ラッシングは反省しきりだった。

「最初から最後まで恥ずかしかった。僕が台無しにしてしまった」

 2人の関係を見ていて、30年以上前のことを思い出した。後にメジャーリーガーとなる捕手の城島健司が、まだ駆け出しのころの話だ。

 工藤公康がFA権を行使しライオンズからホークスにやってきたのは1995年。城島はドラフト1位入団の大物新人だった。

 工藤は監督の王貞治に「城島を頼む!」と命じられた。

 工藤の代名詞は、ブレーキのきいたカーブ。ブルペンでそれを投げると、城島はミットの網に引っかけることすらできなかった。

 リードについても、城島は素人同然だった。工藤は打たれると分かっていてもあえて首を振らずに投げ、痛い目に遭わせることで、配球の重要性をこんこんと説いた。

 99年、2人の活躍もあり、ホークスは福岡移転後初優勝。2人は最優秀バッテリー賞を受賞した。

 このように捕手を一人前に育てるのには時間がかかる。大谷のストレスを案じる。

初出=週刊漫画ゴラク7月24日発売号

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