【コラム】赤鬼ホーナー死去。燕が獲得の舞台裏【二宮清純 スポーツの嵐】

鮮烈な輝き、さらば赤鬼

 海の向こうからの早過ぎる訃報に少々、驚いている。

「黒船」とも「赤鬼」とも呼ばれ、日本プロ野球に鮮烈な足跡を刻みながら、わずか1年で「地球のウラ側」から去っていったボブ・ホーナーさんが5月26日、死去した。まだ68歳だった。

 アトランタ・ブレーブスをFAとなったホーナーさんが、ヤクルトと契約をかわし、日本デビューを果たしたのは1987年5月5日。この試合で、いきなりホームランを放ったホーナーさんは、翌日、3本もスタンドに叩き込み、プロ野球ファンの度肝を抜いた。

 他の外国人選手とホーナーさんが一線を画していたのは、彼がFA権を行使して、日本にやってきた初のメジャーリーガーだったということだ。

 外国人メジャーリーガーとはいっても、これまでは“昔の名前で出ています”的なロートルか、マイナーとメジャーを行ったり来たりの「ヨーヨー・プレーヤー」(上がっては下がる選手)がほとんどで、ホーナーさんのような現役バリバリの選手のNPB入りは「ありえない話」だった。

 当時、NPBを席捲していた外国人といえば、セ・リーグはランディ・バース(阪神)、パ・リーグはブーマー・ウェルズ(阪急)。

 しかし、2人ともMLBでの実績は寂しい。ホームランを例にとれば、バースは9本、ブーマーに至っては0。その2人が、日本では揃って三冠王(バースは85・86年、ブーマーは84年)を獲得するのだ。

 バースが「(ホーナーなら)300本打てる」と言ったのも、無理からぬ話だった。

 ホーナーさんの球歴は、まぶしいほどに輝いていた。78年に、なんとドラフト全体1位でブレーブスに入団。マイナーで経験を積むことなく1年目からMLBでプレーし、新人王に選出される。来日するまでに積み上げたホームランは215本。よく、これほどの大物をヤクルトは獲得できたものだ。

 背景には、MLBの「コルージョン」(談合)があった。FA制の導入以降、選手年俸の高騰に頭を悩ませていたオーナーたちは、高額な年俸を要求するホーナーさんの存在が疎ましく、MLBから締め出そうと画策していた。

 ならばウチでどうぞ、とオファーを出したのがヤクルトだ。提示額の3億円は、当時としては破格で、MLBの富裕球団でさえ尻込みせざるを得ない金額だった。

 85年のプラザ合意により、為替は円高が進行していた。世はバブル経済の入り口。入団後のホーナー人気を考えれば、ヤクルトにとって決して高い買い物ではなかった。

初出=週刊漫画ゴラク6月19日発売号

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