メディア王死去 一日監督の顛末【二宮清純 スポーツの嵐】

一日限りのアトランタ・ブレーブス監督就任

 世界初のニュース専門局「CNN」を1980年に立ち上げたテッド・ターナー氏が、5月6日(現地時間)に死去した。87歳だった。

 メディア界の風雲児として知られるターナー氏は、数々の名言を残している。

 代表的なのが、これ。

「世界が滅びるまで放送を続ける」

 わけても1989年の天安門事件、91年の湾岸戦争、2003年のイラク戦争は、CNNなかりせば、あれほど世界が衝撃を持って受け止めることはなかっただろう。

 そのターナー氏が、MLBアトランタ・ブレーブスのオーナーに就任したのが76年、37歳の時だった。

 76年、70勝92敗の戦績でナ・リーグ西地区の最下位に沈んだブレーブスは、翌77年も精彩を欠き、序盤に早くも16連敗を喫した。

 この体たらくに業を煮やしたターナー氏は、監督のデーブ・ブリストルに10日間の「休養」を命じると、なんと5月11日、敵地でのピッツバーグ・パイレーツ戦の指揮を、自らが執ったのだ。

 その時の背番号は27。数字の意味について聞かれたターナー氏は「背番号には興味がない」と語っている。たまたま、空いていたということなのだろう。

 ターナー氏はブラウン大学のヨット部で主将を務め、64年の東京五輪代表選考会に臨むなど、その世界では名の知られたアスリートだった。

 しかし、野球経験はなし。

「サインも知らなかった」というくらいだから、オーナーになるまでは野球に興味もなかったようだ。

 結局、ゲームは1対2で敗れた。スコアだけ見れば接戦だ。それもそのはず、ブレーブスの先発は、MLB通算318勝をあげたナックルボーラーのフィル・ニークロ。この試合も完投したため、継投に悩むことはなかった。

 攻撃に関する采配は三塁ベースコーチのバーン・ベンソンに任せっきり。連敗は17にまで伸びた。

 果たして球団オ―ナーに、指揮を執る権利はあるのか。ナ・リーグ会長のチャブ・フィーニーが「球団の株を所有する者は監督を兼任できない」との規約を持ちだしてストップをかけたところ、ターナー氏は、これを不服として、コミッションに上訴。だが弁護士出身のコミッショナー、ボウイ・キューンはフィーニーの決定を支持し、ターナー氏がユニホームを着ることは2度となかった。

 破天荒ではあるが、稚気愛すべし人物として、今もターナー氏のファンは少なくない。

初出=週刊漫画ゴラク5月29日発売号

この記事のCategory

求人情報

インフォテキストが入ります