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「再起不能」からの復活遂げた幻の巨人軍最強四番打者!吉村禎章

プロ野球感動!カムバック伝説

怪我…リハビリ…諦めかけた。でも もう一度 野球がやりたい…!不屈の闘志で過酷な運命と闘い、不死鳥のように蘇った男たちの物語!

悲劇の札幌円山球場、幻の巨人軍最強四番打者

吉村禎章(巨人)

吉村禎章の故障は、1988年7月6日札幌円山球場で行われた中日戦の守備の際。右翼の吉村が中堅よりの右飛を捕球した際、中堅の栄村忠広と激しく衝突してしまうのだ。これにより、吉村は左膝の靭帯3本を断裂する。25歳という若さで、100号本塁打を打ったその日だった。「再起不能」とまで言われた。だが手術とリハビリを経て423日後の1989年9月2日ヤクルト戦に代打で登場した。翌1990年、チームのリーグ優勝を自らのサヨナラ本塁打で決めてしまう。出たり出なかったりという起用ながら打率.327、14本塁打という成績を残してカムバック賞を受賞したのだった。吉村禎章の1987年までの通算打率は.321、87本塁打。毎年首位打者争いをし、本塁打王も獲得できるパンチ力を持っていたから三冠王も夢ではなかった。あのまま行けば、1990年代前半の巨人の四番打者は間違いなく吉村禎章だったはずだ。吉村禎章の奇跡のカムバックは、怪我で苦しむ多くの人々に勇気を与え、いつまでも支えとなるに違いない。

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