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「ママチーム」スウェーデン代表の衝撃と、地元チーム創立から10年。本橋麻里が掲げる「次の夢」

カーリングの女子日本代表として、冬季オリンピック2018年平昌大会で銅メダル獲得に貢献した本橋麻里さん(34歳)は、一般社団法人ロコ・ソラーレの代表理事、チーム「ロコ・ソラーレ」の指導者、二児の母、そして選手と、いくつもの役割を持つ。

現在、本橋さんはチームの運営や若手選手たちの指導や育成を行い、チームを支えるスポンサー企業との関係構築などに日々奔走しながら、子育ても行っている。大変とも思える状況だが、本橋さんは「人材育成は私のモチベーション。だから、趣味とモチベーションと仕事が一緒です」とあっけらかんと話す。

人材育成のベースとなっているのが、一般社団法人の設立。この考えに至ったのは、まだ23歳の時のことだった。

2010年バンクーバー五輪後にチームを創設

本橋さんは2018年9月に一般社団法人ロコ・ソラーレを設立したが、活動のスタートとなったのは2010年。本橋さん自身による、法人化前のチーム創設までさかのぼる。

19歳でトリノ大会に出場した本橋さんは、“マリリン”の愛称で注目されてきた。2006年トリノ大会、2010年バンクーバー大会、2018年平昌大会の計3度も五輪に出場。一方で、バングーバー大会後に当時所属していた強豪チームを離れ、オホーツク海に面した故郷の北海道北見市常呂町に戻り、チーム「ロコ・ソラーレ」を立ち上げて世間を驚かせた。

北見市は過去に何人ものオリンピック代表選手を輩出してきたカーリングの街ではあるが、それまで主立った強豪チームはなかった。学生の有力な人材は他県の強豪チームに流出していた。本橋さんはそんな状況を変えるべくチームを作った。

結果的に、結成から8年後にオリンピックのメダル獲得へと結実した。ただ、それは本橋さんが目指すものの一部ではあっても全てではない。

2連覇スウェーデン代表が見せた、衝撃の姿

カーリングでは新チームの結成、チームの解散はよくあること。一方で、一般社団法人としてチーム運営をするのは珍しい。そこには、「カーリングをいつまでも楽しめるようにしたい」という本橋さんの思いがあった。きっかけは海外遠征やオリンピックで見たスウェーデン代表の姿だった。

「私が第一線でやっていた19歳から24歳の時、(トリノとバングーバーの)2度の五輪とも金メダルをとったのがスウェーデンでした。19歳の時(トリノ大会)は、スウェーデンの選手の5人中2人ぐらいがママだったのかな。(スウェーデンが)次の五輪で金メダルを取った時は、選手がほぼ全員ママになっていて、私にとっては衝撃で、羨ましかった。ああなりたいって思えるかっこいい選手達でした。今でも憧れです」

2006年、2010年とオリンピックを2連覇したスウェーデンは、伝説のスキッパーとして知られるアネッテ・ノルベリを中心に、メンバー4人が同じまま(控えメンバーは変わっている)2大会に出ている。その間に結婚して登録名が変わった選手もいれば、子どもを持った選手もいる。アネッテ・ノルベリ自身は、1988年大会でも銀メダルを獲得していて、2010年バングーバー大会時は43歳だった。アネッテ以外のメンバーも、バンクーバー大会時では30代後半だった。

結婚して子どもを産んで、年齢を重ねていても競技を続けている。そして金メダルを連続で取った。本橋さんには驚くべきことだった。客席の光景も新鮮だった。

「オリンピック会場の客席で、スウェーデンの選手たちの家族や子供たちが応援していて、ママたちが氷に乗って試合をしている。『これ、めちゃくちゃいいじゃん!スウェーデンがこういう社会なんだろうな』と自分の中で腑に落ちた瞬間でした。日本もこうなったらいいなと思いました」

「世界が少しずつ広がっていった」

チームの代表、指導者、選手、そして二児の母といくつもの顔を持つ本橋麻里さん。本人は「私は趣味とモチベーションと仕事が一緒なんです」とあっけらかんと話す。
海外で見た光景で、他にも驚かされることがあった。

「カナダに遠征に行った時には、相手チームのメンバーが練習や試合の合間に授乳していました。授乳し終わった後にもう1度プレーしていて。私の場合、授乳したらヘロヘロになります(笑)。スウェーデン代表の人たちもこれを普通にやっていたのかと改めて尊敬し、こうやって仕事と家庭を両立していくのかと思いました。『結婚したら家庭に入って育児をする』とは違う形を、10代からスポーツを通して見ることができた。そこから世界が少しずつ広がっていき、23歳での(チーム設立という)決断に至りました」

当時の日本のカーリングを取り巻く環境はまだまだ。整備はこれからというところだった。

「日本でスウェーデンやカナダの様なことをやろうとしても無理だなと思いましたが、無理と思う自分も悔しい。だったら自分でするしかない。どうせいつかカーリングをやめるのだったら、そこまでやってみようと至り、『女性アスリートが活躍できる場所を作ろう!』とスイッチが入りました」

理想を現実にするため、まず、チーム「ロコ・ソラーレ」を2010年に故郷で立ち上げた。2014年のソチ大会の代表は惜しくも逃したが、2018年の平昌大会では代表となり、日本カーリング界初のメダルを獲得。チームの創設者である本橋さん自身は、控えとして、藤澤五月ら年下の選手たちを支えた。

立ち上げからメダル獲得までの約8年の間に、本橋さん自身も結婚して出産し、再びチームのメンバーとして戻っている。当時のスウェーデンの選手たちに感心させられたことと同じことを実現した。

日本のカーリング女子選手に立ちはだかった壁

平昌大会後には、本橋さんは自身の思いをさらに体現すべく、チームを一般社団法人として法人化させた。背景には日本の女子カーリング界の事情があった。

「カーリング女子は、最終的に実業団でやるにしても、クラブチームでやるにしても、結婚で競技を一回やめるというのがすごく多かった。(競技を続ける)先輩たちもあまりいませんでした。(当時は)今ほどリンクもなく、環境的にも難しい。嫁ぎ先にカーリング場がないと続けられなかった。後輩のみんなには、もう少し良い環境でやってもらいたかったんです」

カーリングでは、実業団を除くと大半のチームが、オリンピック周期を基準に立ち上がっては消滅してきた。選手たちも、そのタイミングで競技から離れてしまうことが普通だった。今では結婚しても競技を続ける選手や、ママさん選手が増えてきているが、当時は少なかった。本橋さんは、一般社団法人ロコ・ソラーレを設立することで、より良い競技環境を作り、こういった現状を少しでも変えていきたかった。

一般社団法人を設立したことで、本橋さんは、背負う責任の重さをより明確に実感し始めたという。

「強化チーム(ロコ・ソラーレ)は、選手の人生を背負っているという責任感をすごく感じます。育成チーム(ロコ・ステラ)も、彼女たちの人生を預かっている感覚です。それと同時にどう化けていくのかなという楽しみと、世界に挑戦できる子たちを出せるのかなというのがモチベーションになっています」

本橋さんが一般社団法人を設立した大きな目的が、人材育成だ。

「どんな形になっても、選手たちにはカーリングをスパッとやめてほしくない。苦しみ、泣くことが8割、9割ですが、ずっと頑張ったものをやめるのは、その子の人生、キャリアにとってあまり良いことではありません。

細く長くやる時、太く短くやる時という選手としての活動に強弱をつけるためにも、ロコ・ソラーレという団体は絶対あるべきだと考えています。(チームが)あること自体でモチベーションが上がる選手がいたり、不安なく次の人生の選択ができたりする選手もいる。そういうところで支えになっていきたい」

地元の北見市への思いもある。

「今、カーリングの街である北見市が盛り上がってきています。カーリング場が一つの街に2つもあるのはカナダと北見市ぐらい。だからこそ『カーリングがあって良かった』と多くの人が言ってくれる状態を作っていきたい。今、人と人がつながる状況が生まれ、さらにビジネスの発展性が出てきています。皆さんに応援されている団体なので、この街が元気になるような働きをしていきたい」

ロコ・ソラーレを支えるスポンサー

一般社団法人ロコ・ソラーレでは、企業からのスポンサー収入などから、オリンピックを目指す強化チーム「ロコ・ソラーレ」と2018年に立ち上げた育成チーム「ロコ・ステラ」に所属する、9選手とスタッフ、チームの活動費がまかなわれている。

これはもちろん、営業活動が実ってこそ。ただ、企業訪問は本橋さん自身が行っているが、地元のスポンサー企業による協力も大きいという。

「営業活動やりますよ(笑)。でも、私が何か営業というよりは、スポンサーさんがスポンサーさんを引っ張ってくださることの方が多いですね。『こんな面白いチームがあるよ』という口コミで、『応援しようかな』と新たに(スポンサーに)なってくださった方がすごく多い。

また、北見のスポンサーが中心となって発足したチームなので、どんなに大きい会社さんからオファーを頂いても、バッティングするような業種だと『申し訳ないです』と断ることは徹底しています」

今では約35社がスポンサードしている。一般社団法人の立ち上げから約3年、本橋さんも「経営者」としての思考が強くなっているのかと思いきや、そうでもないそうだ。

「カーリング選手をやっていて身についたのかもしれませんが、結局は人と人がつながっていて、そこに信頼関係があるかないか。長期で契約してくださるスポンサーさんが多い理由もそこにあると思います。1年単位で成績がでる競技でもありません。『もどかしいかもしれないけど4年間を見て頂きたい、無理をしない範囲でサポートして頂きたい』とお願いしています」

運営組織の代表、指導者、2人の子どもの母親、そして選手。はたから見ると、本橋さんは4足のわらじを履いているように見える。こんなタフな状況で、どうやって頭の中、心理面で切り替えているのか不思議に思える。

「基本的には法人の代表として、広い視野を持つことを意識しています。時によって優先順位は変わりますけど、子育てを経験したことで、優先順位のつけ方や決断力が身につきました。ロコ・ソラーレはファミリーファーストが大前提。家族に何かあったら『とりあえず行け』みたいな(笑)。一人ひとりの精神的な部分がすごく影響するスポーツなので、なるべく良い状態で氷に乗れるようにサポートしています」

復帰戦で気づかされた「闘志」と「母性」

「ファミリーファースト」な本橋さんは、5歳と1歳の男の子を育てている。昨年第二子を出産し、その後、競技に復帰した。今年2月の全日本選手権では、育成チーム「ロコ・ステラ」の一員として、久しぶりに選手としても出場し、若手選手たちをサポートした。

「若い子たちが経験をつけられるように。オンアイスで出ました」

ただ、普段は選手として出ているわけではなく、子育てをしながら、チームの代表や指導者として活動している中、さすがに選手としての本気モードへの切り替えが大変だったそうだ。

「闘志を出すってこんなに大変なのか!って。育児をしていると母性が最優先なので、闘志なんて必要ないんですよ(笑)。試合に戻って、体力、スキルというより闘志を出すのが大変でした。試合中に一瞬母性が出ちゃう時があって、『いやいや、ここはダメだ』と“静かなる闘志”を出すのが難しかった」

闘志を出し続けるというのも、それはそれで大変だという。

「シーズン中は、家に帰ってもやっぱり闘志を出しているんですよね(笑)。完全にオフにすると、次に上げるのが大変なので。家庭でピリピリしている時があったなと思い出しました」

今回の選手復帰は、あくまで育成チームのサポートのため。取材を通じて本橋さんからは、選手としての活動よりも、代表理事として人材育成に力を入れることにより魅力を感じている様だった。今後の目標は、オリンピックにチームを送り込むこと。

「やっぱり、オリンピックや世界大会に、ロコ・ソラーレから続けて出していきたい。『ロコ・ソラーレは選手を出すね』と言われるように。下の若い子たちの頑張りを見て、お姉さんチームがモチベーションを高めてくれたり、相互作用が必ず出てくると思います」

執筆:大塚 淳史
報知新聞社『スポーツ報知』にて運動部で高校野球、Jリーグ、大学スポーツ、文化社会部で芸能、事件などを担当した後、中国・上海で5年間在住。現地の日本語フリーペーパー、中国メディアのオンライン日本語版や電子雑誌、日本の繊維業界紙上海支局で勤務の後、帰国。日刊工業新聞を経て、2016年からフリーランスライターとして活動。週刊朝日、AERA dot.、Bussiness Insiderなどでも執筆している。

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