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「イチロー選手、すごいんだぞ」川﨑宗則が中学時代の自分に教えたいこととは?

BCリーグ・栃木ゴールデンブレーブスで今季も現役を続ける川﨑宗則は、これまでNPB、MLB、CPBL(台湾)、そしてBCリーグと異なる4つのリーグでプロ野球選手としてプレーしてきた。
その中でも、2012年から2017年開幕前までプレーしたMLBでは、メジャーとマイナーを行き来するという経験を味わっている。
決して「順風満帆」だったとは言えないMLB生活について、川﨑宗則本人から当時の率直な思いを聞いた。

MLB時代は「2球団に所属していたようなもの」

――MLB時代、メジャーで結果を残しても契約の兼ね合いでマイナーに落ちることがありました。日本のファンからすれば「なぜ?」という思いもあったのですが、川﨑選手本人はどう受け止めていましたか?

MLB時代の僕は(メジャーとマイナーの)2球団に所属していたようなものなんです。普通のサラリーマンでいうと(メジャーに)派遣されているような感覚。だから(マイナーに)落とされたという感じではなく、自分のチームに戻っただけ。そういう気持ちでプレーしていました。

たとえば大谷翔平選手やダルビッシュ有選手は(メジャー契約で)1球団としか契約していないから(事情がない限り)マイナーに落とすことはできないんです。僕はマイナー契約だったので2つのチームで仕事ができる。むしろそれが楽しかったですね。もちろんメジャーの方が給料も環境も良いし、家族も喜ぶ。自分の子どもには「メジャーリーガーを目指せ」と言いたいし「マイナー契約はするな」とも伝えたいです(笑)。
でもあの年の僕は契約上、そういう立場だったので、それを受け入れることができた。そのおかげでアメリカの大都会も田舎も、いろいろなところに行けたし、たまにメジャーに上がるときの喜びやマイナーの過酷さも知れた。

でも、それも僕らしくていいなと。鹿児島の田舎から18歳でプロに入って、1年目は「こんな世界でやれるはずがない」と思っていました。それが、気づいたらアメリカやカナダで野球やって、40歳の今もこうやって現役でプレーしている(笑)。

――じゃあ18歳のころを思い出すと、今の自分は想像できない?

絶対にできないですね。あんな上手な先輩たちと一緒になんてやれないと思っていたし、自分がこんな先輩たちよりも上手くなるなんて想像すらできなかった。やっぱり甘かったし浅はかだったよね、アイツ(18歳の自分)は(笑)。でも、そういうものでしょう。

――マリナーズに移籍する際には「イチローさんと一緒にプレーしたい」と会見でコメントされていました。

僕はそもそも、イチロー選手の出現でプロ野球選手になれた人間なんです。小学校から中学校に上がるとき、実は野球をやめてバスケットボール部に入ったんです。小学校時代は3番ショートで、キャプテンで、チームも優勝旗が10本以上あって、全国大会にも出場した強豪でプレーしていた。でも、野球をやめたんです。結局、中学校の野球部の監督に「お前、なに考えてんだ」って言われて野球の世界に戻されたんですけど、その頃に現れたのがイチロー選手だったんです。

野球に対する興味が薄れている時期に、僕と同じように細身で体も大きくないのにこんなすごい選手がいるんだと。それなら、僕もプロ野球選手になれるかもしれないって、バカだった中学生の自分は考えちゃったんです。中学までは右バッターだったんですけど高校入学を機に左バッターに転向して、イチロー選手のビデオを擦り切れるまで見て、結果的にドラフトでNPBに入ることができた。
だからFA権を取ったとき、イチロー選手がどんなことを考えているのか、どういう思いでプレーしているのか、興味津々だったので一緒のチームでプレーするという選択をしたんです。

中学時代の自分に伝えたいイチローの凄さ

――マイナー契約であるとか、そういうことよりもイチロー選手と一緒にプレーすることが最優先だった。

正直、マリナーズから声はかかっていなかったですからね(笑)。でも僕だけじゃなく、イチロー選手のおかげでプロ野球に入った選手や、これからプロを目指している選手もたくさんいると思うんです。だからこれからはそういう子どもたちにもイチロー選手と身近に過ごして感じたことを、どう考えているかを僕なりに解釈してみんなに伝えたい。
彼はメジャーでトップに立った男。世界一になるって、日本一とはまた違うんです。そこには世界一のオリジナリティがある。僕自身、それをすべて理解しているわけではないけど、少しは分かることができたと思うから。もちろん、自分には無理だったということもね。

中学生の自分には「やっぱり、無理だったぜ」「イチロー選手、すごいんだぞ」って教えてあげたいですね(笑)。

――メジャーで一緒にプレーできたのは数カ月ですよね。

その数カ月が、そこから先のMLB人生に繋がりました。結果的に5年間プレーしましたけど、正直そこまでやれるとは思っていなかった。1年目で(マリナーズを)クビになって、日本に戻る選択肢もあったけど、まだまだアメリカでやりたいと思ったのは、イチロー選手と過ごした数カ月間があったからこそだと思います。
(収録:2021年5月14日)

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