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通算382HR放った稀代のスラッガー大島康徳の年俸は今ならいくら!?

Text:花田雪

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

菅野智之や田中将大など、高額年俸を誇る選手が名を連ねる現代プロ野球界。でも、もし往年のレジェンドが現代でプレーしていたら……その年俸はいくらになる!?

プロ年11目で4番に定着!26年間、現役を貫いた

通算382本塁打を誇る稀代のスラッガー:大島康徳
【妄想生涯年俸】
38億1500万円
(年平均1億4656万円)

2021年6月30日、長い闘病生活の末、大腸がんでこの世を去った大島康徳。26年間もの長きにわたって現役でプレーし、通算382本塁打、2204安打の偉業を成し遂げた。現役引退後は指導者、解説者として誰からも愛されるキャラクターを確立。そんな偉大なプロ野球OBに敬意を表す意味でも、そのプロ野球人生を“妄想年俸”とともに振り返ってみたい。

大島は中津工から1968年ドラフトで中日3位で指名されてプロ入り。当時はいわゆる「全国区」の選手ではなく、ドラフト指名も入団テストを受けて勝ち取ったものだった。高卒のドラフト3位ということで、入団時の年俸は現在の相場でもある600万円。当初は投手として入団したものの、すぐさま打者転向を言い渡されている。その影響もあってか、プロ2年目までは1軍出場はなし。ベースが600万円と低いとはいえ、1軍未出場であれば年俸が下がるのがプロ野球という世界。2、3年目はそれぞれ50万円ずつのダウンと妄想してみた。

そんな大島に転機が訪れたのがプロ3年目の1971年。1軍初出場をつかみ、後半戦は一塁、センターのレギュラーに定着した。ただし、数字自体は打率・203、7本塁打と決して1軍レベルとは言えなかった。とはいえ、ベース金額が安いので、翌年は期待値も込めて倍増の1000万円(これでも1軍最低保証年俸以下)と想定してみる。

大島はこの年を境に1軍に定着するが、実はここから数年間、打率2割5分前後、本塁打10本前後という、なんとも歯がゆい成績を残し続ける。2軍レベルではないが1軍の一流クラスではない――。こういう打者は現代の野球界にも多く存在する。しかし、ここからが大島の真骨頂。プロ8年目、26歳のシーズンとなった1976年にシーズン代打本塁打7本という今も破られていないNPB記録を樹立。これをキッカケに翌1977年は三塁のレギュラーに完全に定着し、打率・333、27本塁打とブレイクを果たしたのだ。27歳という年齢を考えれば、やや「遅咲き」と言えるかもしれないが、当然ここから大島の年俸は一気に高騰……するかと思いきや、実質1年間の実績だけで年俸が爆上がりするほど、中日フロントは甘くない。とはいえ、3000万円から7000万円の倍増+1000万円くらいは払ってくれるだろう。

そして、2年後の1979年。大島はシーズン全試合に4番で出場。打率・317、36本塁打という堂々たる成績を残す。「妄想年俸」の世界で言うと、このタイミングは絶妙だ。というのも、1軍定着9年目で、現在なら海外FA権を取得するからだ。プロ入りから11年間、プチブレイクを果たしながら「超一流」には届かなかった大島がようやくつかんだ「主砲」の称号。当然、現在なら大型契約を結ぶことになるはずだ。シーズン30本塁打以上が1回という実績を考慮して、ここは年俸3億円の5年契約という「リアル」な数字を想定してみる。

この時、大島は30歳。契約満了時は34歳になる計算だ。通常であればここで全盛期を迎え、契約満了時にはやや成績が低下していそうなものだが、ここからがしぶとかった。33歳シーズンで36本塁打を放って自身初の本塁打王を獲得すると、34歳シーズンでも30本塁打。こうなると、翌年35歳を迎えるベテランとはいえ、年俸ダウンはありえない。年齢を加味すれば年俸自体はアップ、契約年数を抑える形がセオリーなので、ここでは年俸4億円の3年契約と想定させて頂く。

史実ではその後、38歳シーズンで移籍した日本ハムでもレギュラーとしてプレー。現役晩年は代打稼業に回り、現役最終年、44歳シーズンとなった1994年にも打率・323を記録している。高卒からの叩き上げで実に26年間現役を続けた大島。不屈の魂で最後までプレーを続けたその姿は、今もファンの脳裏に焼き付いているはずだ。


出典:『がっつり! プロ野球(29)』

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