親鸞

【歎異抄・第九条】念仏で喜びを感じないのはなぜ?親鸞が説く「煩悩」と阿弥陀仏の救い【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

煩悩まみれでいい!? だからこそ救われる親鸞の教えとは 心から喜べないからこそ往生できる 第九条では冒頭で、「念仏を唱えても躍り上がるような気持ちにならないのはどうしてでしょうか、一日も早く極楽浄土に行きたいという気持ち […]

なぜ念仏は「修行でも善い行いでもない」のか?阿弥陀仏にすべてを委ねる他力の秘密【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

“努力しない救い”? 念仏が“修行”でも“善行”でもない理由 念仏を唱えることで自力から脱する 第八条では念仏とはどういうものか、ということについて説明しています。 冒頭に「念仏は行者のために、非行・非善なり。」と記され […]

親鸞には本当に弟子がいなかったのか?『弟子一人ももたず』と言った理由と平等思想【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

「弟子は一人もいない」親鸞が遺した、感謝と平等の教えとは 親鸞には本当に一人も弟子がいなかったのか 第六条では「親鸞には一人も弟子がいない」と宣言しています。それには理由があります。 「念仏を唱える人はすべて極楽浄土へ行 […]

親鸞が一度も両親のために念仏を唱えなかった理由とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

親鸞が一度も両親のために念仏を唱えなかった理由 第五条で親鸞は、亡くなった両親のために一度も念仏を唱えたことがないと記されています。当時は亡くなった人に対しては、当たり前のように念仏を唱えていました。 今の世でも多くの人 […]

親鸞が説く阿弥陀仏の本願|『地獄に堕ちても後悔しない』という究極の信心と念仏の真実【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

「だまされて地獄でもいい」親鸞がそこまで信じた教えとは 阿弥陀仏の本願をひたすら信じる心について 第二条では、「極楽浄土に往生する道」について、その教えを請うために、常ひたちの陸国(茨城県)から京都まで訪ねてきた信者に対 […]

親鸞の『悪人正機』とは?他力本願の本当の意味と、誰でも救われる『歎異抄』の教え【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

悪人こそ救われる!? 親鸞が説いた“逆説の仏教”とは 誰でも救われるという希望の光があふれている 親鸞は「念仏を唱えるだけで救われる」という「他力」の考えを説いています。しかし当時(鎌倉時代)の仏教界は、厳しい修行を通じ […]

仏教から学ぶ「本を読むだけでは救われない」ワケとは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

表面的なことだけではなく本質を知ることが重要 【訳】経典や祖師方(禅宗の達磨大師)の書かれた注釈書などを読んで学んだとしても、聖教、すなわち仏教の教えの根本的な意味を理解していないのでは、どうしようもありません。 「仏教 […]

成功の陰に“見えない支え”あり。歎異抄に学ぶ感謝の大切さ【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

自分の力だけで達成したと思い込まないこと 【訳】如来から授かった信心を、まるで自分自身が与えたものであるかのように勘違いし、取り返そうとしているのだろうか。 信心とは阿弥陀仏からいただくものであり、自分の力で得るものでは […]

人を助けるときは「最後まで責任を持つ」──親鸞が語る、本当のやさしさとは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

人を助けるときは、「最後まで責任を持つ」 訳:この世では、人がどんなにかわいそうで気の毒だと思っても、自分の思いどおりに助けてあげることさえできません。「仏の慈悲」も、完全なものではないのです。 ボランティア活動をしよう […]

善人よりも悪人が救われる? 親鸞の“悪人正機”に込められた希望【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

「どんな人でもやり直せる」という考え 訳:善人でさえ阿弥陀如来の救いによって浄土に往生することができます。まして悪人が往生できなわけがありません。 普通は「悪いことをした人より、善い行いをした人のほうが救われる」と考えま […]

親鸞と法然の信心は異なっていた?『歎異抄』後序に記された“あとがき”とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

【後序】阿弥陀仏の信心はひとつしかありません 「後序」とは歎異抄のあとがきにあたるような箇所です。冒頭で親鸞聖人と法然上人の信心は異なるのではないかと、それぞれの弟子たちが論争した場面が書かれています。親鸞聖人は「確かに […]
インフォテキストが入ります