【愛知の歴史】名古屋は“引っ越し”で生まれた!?徳川家康が町ごと移した「清洲越し」

町ごと全部お引越しする「清洲越し」の理由とその影響

新しい都市を作った家康の偉業

 1610年、徳川家康は尾張の中心を清洲から名古屋へ移す「清洲越し」を行いました。それまでの拠点だった清洲城をはじめ、家臣の家や城下町の家々、それに神社や寺も含めて、すべてそっくり移すという一大政策です。

 なぜそんなことをしたのかというと、清洲は湿地で水害が多く、城も小規模なことから軍事拠点として貧弱だったからです。当時豊臣家の勢力と対抗していた家康は、熱田台地の北西にある名古屋に目を付け、ここを新たな拠点とすることにしました。このとき、拠点を移すだけでなく、将来を見据えて新しい都市を作ったのが、家康の大きな功績です。

 この名古屋では、北端に名古屋城を置き、城下町は碁盤の目のように南北と東西に道を通しました。この構造は「碁盤割」と呼ばれます。そして、町の中心部を町人の場所とし、その周りを武家と寺社で固めました。少し南へ行けば、港町の熱田へすぐに出られます。堅牢な作りでありながら経済活動をしやすい、じつに考えられた都市レイアウトだったのです。

 この碁盤割の作りは現在でもほぼそのまま残っていて、名古屋の街の大きな特徴となっています。名古屋城と熱田を結ぶ基幹道路だった本町通には、現在でも名古屋を代表する老舗が軒を連ね、当時の面影を残しています。

当時の清洲と名古屋

清洲越し

徳川家康により1610年から数年かけて、清洲の町をまるごと名古屋へ移した政策。清洲はそれまで尾張の中心だったが、湿地で水害が多かったため、台地の名古屋へ拠点が移された。

現在の名古屋の原型が作られる

新たな拠点となった名古屋では、道が碁盤の目のように通り、極めて機能的な町が作られた。その形は現在でもほぼそのまま残っており、名古屋の原型がこのとき作られたことがわかる。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 愛知の話』監修:宮本佳範

【監修者紹介】
宮本 佳範(みやもと・よしのり)
愛知県生まれ。名古屋市立大学大学院人間文化研究科博士後期課程修了。博士(人間文化)。愛知東邦大学経営学部教授。一人旅が好きで、回り道をしつつ観光の研究者になる。専門は観光社会学。持続可能な観光マネジメントの在り方に関心を持ち、観光地で起きている様々な問題について研究。また、“観光は地域のPRメディア”という視点にたち、学生と地元愛知・東海の歴史や文化、自然、産業の魅力を深堀りするツアーの企画にも取り組んでいる。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 愛知の話』
監修:宮本佳範


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