城郭の国宝第1号!「名古屋城」の豆知識を紹介!【眠れなくなるほど面白い 図解 愛知の話】

城郭として国宝第1号 名古屋城豆知識あれこれ

名古屋城はこんなお城だった

 「尾張名古屋は城で持つ」とも言われる名古屋城は、江戸時代が始まったばかりの1609年、徳川家康の命により建設が始まりました。じつはこの築城にはある意図がありました。それは、各地の大名に無報酬で城を作らせる「天下普請」によるものです。これにより、豊臣方の福島正則や加藤清正といった大名の財力を奪うことができたとされています。

 そんな背景がありながらも、完成から400年以上の間、名古屋城は名古屋のシンボルとして市民に愛されてきました。

 江戸時代は、御三家のひとつである尾張徳川家の居城として安泰でしたが、明治以降はさまざまなできごとが名古屋城を襲います。

 最初のピンチは1870年、名古屋藩の藩主を務め、当時知事であった徳川慶勝が名古屋城の取り壊しを申し出たことです。しかし、関係者たちから反対の訴えがあり、内務卿であった山縣有朋が保存を決定して難を逃れました。

 その後、名古屋城はその価値を認められ、1930年には城郭としては初めて国宝に指定されます。しかし、その15年後に太平洋戦争の名古屋大空襲で名古屋城は焼失してしまいました。その後、市民の間からも再建の機運が高まり、1959年に天守や正門などが再建されて現在に至っています。

名古屋城の歴史と築城の経緯

名古屋城の歴史

できごと
1609年( 慶長14年)徳川家康が名古屋城の築城を命じる
1610年( 慶長15年)築城が始まる
1612年( 慶長17年)天守が完成
1615年( 慶長20年/元和元年)本丸御殿が完成
1870年(明治3年)名古屋藩知事・徳川慶勝が、名古屋城の取り壊しを申し出る
1879年(明治12年)山縣有朋が名古屋城城郭の保存を決定
1930年( 昭和5年)建物24棟が国宝(旧国宝)に指定される
( 城郭の国宝第1号)
1945年( 昭和20年)名古屋大空襲で名古屋城焼失
1959年( 昭和34年)名古屋城再建工事が完了

名古屋城築城の目的

徳川家康が、豊臣の家臣らを弱体化させるため、福島正則や加藤清正らに、無報酬で築城をさせた(天下普請)といわれる。

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