「指導する」のではなく「見る」
44歳で阪神の監督に就任した藤川球児は、現役時代(メジャーリーグを除く)野村克也、星野仙一、岡田彰布、真弓明信、和田豊、金本知憲、矢野燿大と7人の監督に仕えた。
「自分が監督をやる上で、これは大きな財産」
監督に就任した際、藤川はそう語っていた。
推察するに、この7人の監督の中で、最も大きな影響を受けたのは岡田ではないか。
それはキャンプでの振る舞いを見ていれば察しがつく。選手たちを「指導する」のではなく、「見る」ことに徹しているように映る。
岡田は自著『動くが負け』(幻冬舎新書)で、こう書いている。
<試合前の練習中、私は細長いノックバットを1本持って、グラウンドのあちこちを歩く。
それはいろんな角度から、選手の様子を確認しておくためだ。
選手の正面から、捕手の後方から、選手の背中側からと、いろんな角度から選手の様子を見る>
<もちろん、監督の仕事場は、グラウンドだけではない。
なかなか選手一人一人に声を掛けるのは難しいのだが、自分が「監督から見られている」という意識は選手に持たせなければならないし、最低限、選手がどういうことに取り組んでいるのかは、把握しておかなければならない>
現役時代、おそらく藤川も岡田の視線から多様なメッセージを汲み取ったはずだ。
昨年限りでユニホームを脱いだ岡田だが、オーナー付顧問として球団に残った。岡田の大所高所からの意見は、ルーキー監督として何よりも心強いに違いない。
まして藤川にとって岡田は恩人である。ドラフト1位入団ながら5年間はパッとせず、03年のオフには整理対象選手にリストアップされていた。それを救ったのが監督に就任したばかりの岡田だった。
もし藤川が他球団に流出していたら“JFK”は誕生しておらず、05年のリーグ優勝もなかったということだ。
藤川にはコーチ経験がない。それを懸念する向きもあるが、そう心配することもなさそうだ。というのも近年、コーチ未経験者が成功を収めるケースが相次いでいるからだ。2000年代に入ってからは、中日・落合博満(リーグ優勝4回、日本一1回)、北海道日本ハム・栗山英樹(同2回、同1回)、福岡ソフトバンク・工藤公康(同3回、同5回)の3人が輝かしい成績を収めている。藤川には青年監督らしい、斬新ではつらつとした采配を期待したい。
初出=週刊漫画ゴラク2025年2月28日発売号