助っ人外国人列伝/アメリカ1960年代編
アメリカ国籍のレジェンドを大特集!今回は1960年代に活躍した懐かしの助っ人たちを紹介する。
実績あるアメリカ投手が初めて日本にやって来た
ジョー・スタンカ
NPB通算7年:(1960~1966)
264試合 100勝72敗 奪三振887 防御率3.03
●赤鬼の異名を取る快投を披露してわずか7年で通算100勝を達成!
戦後の匂いを色濃く残していた1950年代、プロ野球界は欧米の助っ人外国人を戦力としない「純血主義」の球団が多かった。だが、1960年代に入るとアメリカ国籍の選手が少しずつ来日し、1960年に南海ホークス入りしたのがメジャー経験のあるジョー・スタンカだ。
それまでの日本球界にアメリカで実績を残した選手が来日したことはなく、ジョー・スタンカはいわば「大物助っ人外国人」第1号である。196センチ、96キロの右腕で当時としても超大型投手だったジョー・スタンカは、角度ある速球と胸元をえぐるシュートで日本人打者を寄せ付けず、1年目から17勝を挙げて杉浦忠とともに二大エースとして君臨。
2年目以降も活躍したジョー・スタンカは、南海ホークスの黄金期を築いた鶴岡一人の目論み通り、杉浦忠の負担を軽減する働きを見せた。特に1964年のジョー・スタンカはシーズン26勝でMVPに輝き、阪神タイガースとの日本シリーズでは4先発3完封勝利と大車輪の活躍をしている。だが、翌年にジョー・スタンカの長男が事故死したことで失意のうちに帰国して退団。
1966年に再来日して大洋ホエールズに入団したジョー・スタンカだが、わずか6勝とかつての輝きを失ってしまった。このシーズンを最後に現役引退したジョー・スタンカは、野球から離れて自動車のセールス業、アパレル業、不動産業などに転職し、2018年に87歳で死去した。
出典:『がっつり! プロ野球』
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公開日:2023.02.18