「不適切」を糧に。琴風と「昭和相撲」【二宮清純 スポーツの嵐】

「強くなると誰もいじめなくなる」
昨年の九州場所からNHK大相撲中継の解説を務める元大関・琴風浩一さんの話は、苦労人だけあって味がある。人柄なのだろう。大向こう受けするようなことは一切言わないが、言葉に重みが感じられる。
ところで近年、「昭和」の二文字を口にするだけで嫌な顔をされることがある。若い人からすれば、「不適切な時代」というわけだ。
確かに今となっては、「不適切にも程がある」と思えることばかりだが、昭和の力士は「不適切」を養分にして強くなっていった。その代表格が琴風さんだ。
「僕が若い頃はね、師匠が竹刀を持っていたら嬉しかったですよ」
昨年夏にお会いした際、琴風さんはそう語り、続けた。
「竹刀ってね、バシッと音は出るけど、そう痛くはないんです。一番痛かったのは水道管。地方場所に行くと、稽古場はだいたいプレハブ。工事をしていた人たちが切った水道管を置いていく。それを見つけた師匠が手のところにバルサ棒を巻くような布を巻いてバシッとやる。背中を叩かれるとタラタラと血が流れます。もちろん、今こんなことは許されませんけど……」
兄弟子からのいじめも日常茶飯事だった。
「昔は陰湿でね、足の指にチリ紙をはさみ、火をつけられたこともあります。おちおち眠れやしない。油断も隙もないんだから。あとはワサビをキューッと鼻に詰められたり。もう、しょっちゅうやられましたよ」
多くの新弟子が逃げ出す中、琴風さんは部屋に残った。正確に言えば、逃げ出したくても逃げ出せなかったのだ。
「今日でやめよう、今日でやめようと、毎日のように思っていましたよ。しかし逃げ出そうにも、どこへ行けばいいのか分らない。今なら新幹線に飛び乗るとか空港に行くとかするんでしょうけど、そんな知恵もカネもありませんでしたから」
10代半ばで進退窮まった琴風さんは、部屋のベランダで人知れず涙にくれた。
「人をいじめて、何がおもしろいんだ」
やがて涙も枯れ果て、別の感情が湧いてきた。
「クソッ! どうせやめるなら、こいつら1回ぶち投げてからやめても遅くないか」
それからというもの、琴風さんは人が変わったように稽古に打ち込んだ。
「不思議なものですね。相撲は力の世界。強くなると、誰もいじめなくなるんですよ」
昭和の相撲部屋にはそうした風景が広がっていた。「不適切」を糧にして、人は育ったのである。
初出=週刊漫画ゴラク2025年1月31日発売号
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