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光源氏は宴後に酔い心地で朧月夜と出会った?平安京の年中行事は現代まで受け継がれているものも!【図解 源氏物語】

Text:高木 和子

月夜の運命的な出会い(花宴)

翌春の2月下旬、宮中の紫宸殿(ししんでん)で桜の宴が催され、源氏は兄の東宮(弘徽殿女御の息子、のちの朱雀帝)に所望されて漢詩と春鶯囀(しゅんのうてん)の舞を披露します。源氏の漢詩は、専門家たちをうならせるほど優れていました。また、その舞は青海波のときと同様、人々を感動させ、称賛を浴びました。夜が更けて宴が終わり、人々が去ったあと、酔い心地の源氏は月明りに風情を覚えて去りがたく、藤壺の住む御殿のあたりをそぞろ歩きますが、あたりの戸は閉まっています。

気持ちが治まらず、向かいにある弘徽殿に立ち寄ってみると、開いてる戸があったので忍び込みました。すると、「朧月夜(おぼろづきよ)に似るものぞなき」と歌を口ずさんでいる女(朧月夜)がいました。暗闇の中で源氏がその袖をつかむと、女は驚いて人を呼ぼうとしますが、「私はすべての人に許されているので人を呼んでも無駄ですよ。お静かに」という声に源氏だと気づいて少し安心します。月の光に恋情をかき立てられた二人は慌ただしく結ばれ、源氏は相手の名も知らぬまま扇を交換して別れました。

翌朝、源氏は、「昨夜の女性は誰だったのか」と思いめぐらせ、もし、近く東宮に入内する予定の右大臣の六女だったら「かわいそうなことをしたかもしれない」と考えます。3月下旬、右大臣が開催した藤の宴に招かれた源氏は、宴のあとに酔ったふりをして弘徽殿を訪れ、扇を交換した主を探すため、二人にしかわからない言いかたで声をかけます。すると、几帳(きちょう)越しに目当ての朧月夜から返事があり、源氏はやっぱりあのときの人だと知って喜んだのでした(その後、実際に朧月夜が右大臣の六女だと判明します)。

春鶯囀・・・雅楽(ががく)の唐楽(とうがく)の曲名の一つ。鶯(うぐいす)のさえずりを模した旋律が多用される。
朧月夜に似るものぞなき・・・ほかにかすんだ春の月ほど美しいものは他にない。大江千里(おおえのちさと)の歌を踏まえて女性らしい言葉にかえたものとされる。

平安京の年中行事

平安前期に『内裏式』(宮中の恒例、臨時の儀式を記した書物)が成立して以降、宮廷行事の整備が進み、さまざまな年中行事が形成されていった。貴族にとって、これらを作法どおりとり行うことはきわめて重要だった。

1月 射礼、賭弓(じゃらい・のりゆみ)・・・「射礼」とは17日に建礼門の前で、天皇臨席のもと、親王以下五位以上の貴族および六衛府(ろくえふ)の官人が弓技を披露。翌日、弓場殿(ゆばどの)で、近衛府(このえふ)・兵衛府(ひょうえふ)の舎人が天皇の前で弓技を競うことを「賭弓」という。
6月 大祓・・・水無月祓(みなづきばらえ)ともいう。年2回の「大赦」の一つ。6月の晦日、半年分の穢れを除くため、茅の輪をくぐったり、人形を川に流す。夜には、天皇・皇后・東宮の背丈に切った竹の枝を折る「節折(よおり)」を行う。
12月 追儺(ついな)・・・大晦日に邪気を払うため、大舎人寮の舎人を鬼に見立て、それを殿上人たちが桃の弓、葦の矢、桃の杖で追い払う。「鬼やらい」「なやらい」ともいう。

平安京の年中行事

出典:『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』高木 和子 監

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 源氏物語』
高木 和子 監修

平安時代に紫式部によって著された長編小説、日本古典文学の最高傑作といわれる『源氏物語』は、千年の時を超え、今でも読み継がれる大ベストセラー。光源氏、紫の上、桐壺、末摘花、薫の君、匂宮————古文の授業で興味を持った人も、慣れない古文と全54巻という大長編に途中挫折した人も多いはず。本書は、登場人物、巻ごとのあらすじ、ストーリーと名場面を中心に解説。平安時代当時の風俗や暮らし、衣装やアイテム、ものの考え方も紹介。また、理解を助けるための名シーンの原文と現代語訳も解説。『源氏物語』の魅力をまるごと図解した、初心者でもその内容と全体がすっきり楽しくわかる便利でお得な一冊!2024年NHK大河ドラマも作者・紫式部を描くことに決まり、話題、人気必至の名作を先取りして楽しめる。

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