「対等な愛」はコストが高すぎる? 現代女性が夫婦関係に絶望し、年下男子との「絶対的主従関係(ペット飼育)」に救済を見出すワケ

「お互いに理解し合っている」という欺瞞の終わり

廣島ガウォ先生(構成・艶々先生)が描く『私のかわいい犬だから』の主人公・涼香は、冷めきった夫婦関係について「お互い忙しいのは理解している」と自分に言い聞かせていました。

しかしそれは、夫・敦からの「雑な扱い」に目をつむるための、ただの言い訳に過ぎませんでした。

自分で食べた皿を流しに持っていくことすらやめ、会話を求めれば「あーハイハイ、また時間ある時にしてよ」と一蹴する夫。

現代社会において、多くの夫婦が「共働きで、お互いに対等で、理解し合っているはず」という理想のパートナーシップを追い求めています。

しかし、その実態は「対等」という言葉を隠れ蓑にした、怠慢と無関心であることも少なくありません。

涼香が感じていたのは、対等であるはずの関係が、いつの間にか「自分だけが搾取され、透明化されている」という耐え難い虚しさでした。

パートナーシップの敗北と「支配・被支配」への逃避

なぜ、涼香は19歳の風太を「新しい恋愛対象(恋人候補)」としてではなく、「犬(ペット)」として受け入れたのでしょうか。

ここには、現代における「愛のコスト」に対する、非常にリアルな心理が描かれています。

他者と対等な恋愛関係を築くには、多大なコストがかかります。相手の顔色を窺い、意見をすり合わせ、時に傷つき、拒絶される恐怖と戦わなければなりません。 夫との関係で疲れ果てた涼香の心には、もう一度誰かと「対等な愛」を模索するエネルギーは残っていませんでした。

そこで浮上するのが、あらかじめ「支配者(飼い主)」と「被支配者(犬)」という絶対的な格差を前提とした関係性です。

ペット(犬)は、主人の不機嫌を受け止め、無条件の愛情を注ぎ、決して裏切りません。 涼香が風太に求めたのは、複雑で傷つくリスクのある「恋人」ではなく、自尊心をノーリスクで100%満たしてくれる「ペットとしての従属」だったのです。

「犬を飼う」ことで獲得する逆転の主導権

これまで涼香は、家庭において夫・敦の機嫌を損ねないよう、セクシーな下着を買い、機嫌を取り、家事を完璧にこなす「従属的な立場(実質的な犬)」を強いられていました。

しかし、風太という「本物の犬」を手に入れたことで、彼女の立ち位置は一変します。

「今日から私は、犬を飼う――」

このセリフは、家庭における被支配者だった涼香が、自らの人生の「主導権(コントロール権)」を奪い返したという宣言でもあります。

本作が描く主従関係は、単なる歪んだ恋愛模様ではなく、対等な人間関係に疲弊した現代人が、自らの精神の平穏と尊厳を守るために選択した「究極の自己防衛システム」なのかもしれません。

この歪みつつも切実な救済のドラマは、読者の「人間関係のあり方」に対する価値観を激しく揺さぶり続けています。

【書誌情報】
『私のかわいい犬だから』
著:廣島ガウォ/構成:艶々

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私のかわいい犬だから (1)

犬を飼いたかった涼香さん。
しかし夫にはダメと言われ夫婦関係は冷め始め、小さなストレスが大きな不満に…。
「かわいい犬を飼いたい」。そこに現れた大学生の風太くん。
妙になついてくる風太くんを不思議に思いつつ涼香は思った。
「私は私の犬を見つけた」

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