撤去議論を乗り越え1966年に永久保存決定!原爆ドームを残した市民運動と少女の遺言【図解 世界遺産】

広島平和記念碑(原爆ドーム)

「あの日」を残して平和の原点に

 太平洋戦争中の1945年8月6日、広島市上空に原子爆弾が投下され、爆発の熱線と爆風は一瞬にして街と人々を焼き尽くしました。人類史上、初めて人が暮らす都市に原爆が投下され、犠牲者は1945年末までに約14万人にのぼりました。その中で、骨組みと壁の一部がかろうじて残ったのが、爆心地から北西約160mの地点で被爆した「原爆ドーム」です。

 もともとは「広島県物産陳列館」として1915年に開館し、当時としては珍しいヨーロッパ風の建築は人々の注目を集めました。

 戦後、この建物は「原爆ドーム」と呼ばれるようになり、核兵器の悲惨さを象徴する存在となります。痛ましい記憶を呼び起こすとして撤去を求める声もありましたが、市民の間で被爆の実態を後世に伝えるための保存運動が広がり、1966年に広島市議会は原爆ドームの保存を決定します。

 世界遺産としては、1996年に「広島平和記念碑(原爆ドーム)」として登録されました。その名前に託された意味は、「負の遺産」としての記憶にとどまらず、核兵器のない平和な未来を希求する人々の祈りや願いとしての象徴です。現在も、毎年8月6日には広島平和記念式典が開催され、平和への祈りが静かに捧げられています。


保存のきっかけは16歳の少女の日記

 広島市議会で原爆ドームの永久保存が決まったのは1966年。そのきっかけとなったのは、わずか1歳で被爆し、16歳の若さで亡くなった楮山ヒロ子さんの日記でした。

 そこに記された「あの痛々しい産業奨励館(現:原爆ドーム)だけが、いつまでも恐るべき原爆を世に訴えてくれる」という趣旨の言葉が人々の心を動かし、保存を求める市民運動を強く後押ししました。

未来につなぐために

核廃絶と平和な未来を願って

 平和記念公園は、原爆死没者の慰霊と世界平和を目的に整備されました。公園一帯は、もともと繁華街でしたが、原爆により一瞬で破壊されました。公園内には原爆ドームや広島平和記念資料館のほか、平和への願いを込めたモニュメントが点在しています。

 毎年8月6日には、広島平和都市記念碑(原爆死没者慰霊碑)前で平和記念式典が行われ、広島市長の平和宣言を通じて、核兵器廃絶と世界の恒久平和を訴え続けています。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界遺産』監修:宮澤 光

【監修者紹介】
宮澤 光(みやざわ・ひかる)
NPO法人世界遺産アカデミー主任研究員。北海道大学大学院博士後期課程を満期単位取得退学。仏グルノーブル第Ⅱ大学留学。2008年より現職。跡見学園女子大学非常勤講師。世界遺産に関するさまざまな書籍の編集・執筆・監修を手掛けるほか、「チコちゃんに叱られる!」(NHK)などの多くのメディア出演や、全国各地で100本を超す講演・講座を実施している。著書に『13歳からの世界遺産』(マイナビ出版)、『世界遺産のひみつ』(イースト・プレス)など。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 世界遺産』
監修:宮澤 光


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