伊豆や多摩も含まれていた?廃藩置県から現在の神奈川県域が画定するまでの変遷【眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話】

かつて伊豆半島と多摩地域は神奈川県だった?

数回の再編を経て画定された県域

 明治4年(1871)7月、廃藩置県の詔書が発せられ、江戸時代からの「藩」はすべて廃止され、「県」になりました。この時点では、現在の神奈川県域には、神奈川県、六浦県、小田原県、荻野山中県が設置されました。

 次いで同年9月、六浦県が神奈川県に編入され、さらに11月に政府は大規模な統合(第1次府県統合)を行い、小田原県、荻野山中県、そして伊豆半島の韮山県が統合され「足柄県」が誕生しました。また、多摩地域(南多摩・北多摩・西多摩)は当初、東京府あるいは入間県(のちの埼玉県)に移管される予定でしたが、一部が「外国人遊歩区域」(日米修好通商条約締結時に定められた、外国人が居留地から自由に旅行できる範囲)であったことから、その管理を担っていた神奈川県に組み込まれました。

 明治9年(1876)4月、政府はさらに府県の整理を行い、足柄県は廃止され、伊豆半島部分は静岡県に編入、そして旧相模国全域が神奈川県に編入され、現在の神奈川県域に東京都多摩地域を加えた範囲が神奈川県とされました。

 しかし、明治26年(1893)4月、多摩地域は、東京の水道(玉川上水)の水源管理の必要性や、自由民権運動の拠点で県政との対立があったことなどから東京府に移管され、これにより神奈川県の現在の県域が画定しました。

現在の神奈川県域が画定するまで

「横浜県」ではなく「神奈川県」になった理由

 現在の神奈川県面の中心都市および県庁所在地は横浜ですが、「横浜県」とは名付けられませんでした。これは、安政6年(1859)の横浜開港にあわせて神奈川奉行所が設置され、その後、横浜裁判所(県庁機能を持つ)となり、さらに名称が神奈川裁判所、神奈川府などと変更されていったためです。

 もし名称変更がなければ「横浜県」であったかもしれません。なお現在の県庁の開庁記念日は、慶応4年(1868)に横浜裁判所が置かれた「3月19日」です。

神奈川県域の変遷

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹

【監修者紹介】
望月 一樹(もちづき・かずき)
神奈川県立歴史博物館館長。昭和36年(1961)横須賀生まれ、鎌倉育ち。駒澤大学文学部歴史学科を卒業後、神奈川県史資料の整理作業に携わり、昭和63年(1988)に川崎市市民ミュージアムの歴史担当の学芸員、その後学芸室長となる。平成29年(2017)に横浜にあるシルク博物館の学芸担当課長、平成30年(2018)からは神奈川県立歴史博物館の学芸部長に就任し、令和3年(2021)から現職。学生時代は日本古代史を研究していたが、学芸員になってからは江戸時代を中心に川崎をフィールドとして調査研究を行っている。共著に『博物館の仕事』(岩田書院)など。また「律令制下における橘樹郡の様相」(『史叢』95号)や「ペリー来航時における川崎沿岸地域の様相」(『川崎市文化財調査集録』54集)など論文も多数。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』
監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹


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