渋沢栄一の支援を受け臨海部を造成!「京浜工業地帯の父」浅野総一郎の偉業とは【眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話】

日本経済の発展を牽引した京浜工業地帯

京浜工業地帯の父・浅野総一郎

 日本の近代化や高度経済成長を牽引してきた京浜工業地帯の歴史は、明治維新以降の産業振興と、東京湾の埋立による広大な工業用地の造成によって始まりました。

 明治時代後期から大正時代にかけ、日露戦争以降の産業発展に伴い、東京湾沿岸の浅瀬を埋め立てて工業用地を確保する動きが活発化しました。その立役者の1人が浅野総一郎です。

 浅野は渋沢栄一らの支援を受け、浅野造船所や浅野セメント(現・太平洋セメント)を設立し、鶴見・川崎地域の臨海部を造成して京浜工業地帯の礎を築きました。また、昭和初期には、大規模な埋立事業が完成し、京浜地域は重工業の中心地となりました。

 昭和20年(1945)には、空襲により多くの工場が破壊されましたが、戦後の復興期から高度経済成長期にかけて機械工業、石油化学工業などが急速に発展し、京浜工業地帯は最盛期を迎えました。しかし1960年代になると、煤煙や排水による深刻な大気汚染・水質汚濁が顕在化し、特に川崎市を中心とした「川崎公害」が社会問題化しました。

 そのため1970年代以降は、公害対策基本法に基づく規制強化や企業の技術革新、さらには産業構造の転換などが進み、その後の公害克服に向けた技術開発や環境規制の整備においても、京浜工業地帯は全国の先駆けとなりました。

京浜地域の埋立の歴史

 京浜地域の埋立は、その前史として江戸時代には、すでに多摩川や鶴見川から流入する土砂により遠浅の海であったことに着目し、新田開発が行われていました。

 大正から昭和初期にかけては、京浜工業地帯の形成に伴い、川崎・鶴見地区で産業用地の埋立が急速に進展し、重化学工業が湾岸に集中。戦後の高度経済成長期には、さらに沖合の大井、扇島などの埋立も進み、コンテナターミナルや広大な工場地帯が造成されました。

川崎・横浜の埋立地

【浅野総一郎】
明治・大正時代に一代で浅野財閥を築いた実業家で、セメント事業を基盤に京浜工業地帯の埋立や海運、炭鉱など多岐にわたる事業を展開し「セメント王」「京浜工業地帯の父」と称された。

工業地帯にある漁師町

 横浜市神奈川区にある子安浜は、江戸時代には幕府へ魚介類を献上する「御菜肴八ヶ浦」の1つに指定されていた、鎌倉時代から続く漁師町です。

 明治以降は京浜工業地帯の埋立で漁場が縮小し、昭和期に一度漁業権を放棄しましたが、その後、アナゴ漁を中心とした自由漁業(漁業権や政府・都道府県の許可を必要としない漁業)が復活。工業都市の中に残る漁港として知られています。

【子安浜】
現在も昭和の雰囲気を残す水上住宅や、小型の漁船が係留される独特の風景で知られる。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹

【監修者紹介】
望月 一樹(もちづき・かずき)
神奈川県立歴史博物館館長。昭和36年(1961)横須賀生まれ、鎌倉育ち。駒澤大学文学部歴史学科を卒業後、神奈川県史資料の整理作業に携わり、昭和63年(1988)に川崎市市民ミュージアムの歴史担当の学芸員、その後学芸室長となる。平成29年(2017)に横浜にあるシルク博物館の学芸担当課長、平成30年(2018)からは神奈川県立歴史博物館の学芸部長に就任し、令和3年(2021)から現職。学生時代は日本古代史を研究していたが、学芸員になってからは江戸時代を中心に川崎をフィールドとして調査研究を行っている。共著に『博物館の仕事』(岩田書院)など。また「律令制下における橘樹郡の様相」(『史叢』95号)や「ペリー来航時における川崎沿岸地域の様相」(『川崎市文化財調査集録』54集)など論文も多数。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』
監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹


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