名古屋ではなく小田原が本家!薬と菓子を守り続ける「ういろう」650年の歴史【眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話】

宿場町・城下町として栄えた小田原の食文化

小田原名物の「蒲鉾」と「ういろう」

宿場町・城下町として栄えた小田原では、特産品や旅人の携行食として、蒲鉾や梅干、塩辛し、ういろうなど豊かな食文化が育まれました。

小田原で蒲鉾づくりが盛んになったのは、江戸時代後期の文化といわれています。相模湾の豊かな海の幸に恵まれた小田原で、すぐに傷んでしまう魚をすり身にして加熱加工し、保存利用するために生まれたのが小田原蒲鉾でした。

なお、蒲鉾は焼く、蒸すなどの調理法により分類されますが、小田原の蒲鉾は「板付き蒸しかまぼこ」で、幕末頃には小田原名物として広く知られるようになりました。現在も、保存料を極力使わない伝統的な製法が受け継がれています。

一方、名古屋名物として有名な「ういろう」ですが、実は小田原のういろうのほうが本家とされ、その起源は室町時代にまで遡るといわれています。小田原の老舗「ういろう」の由来では、応安元年(1368)、元(中国)の役人・陳延祐が博多に亡命し、自身の官職名であった「外郎」を名乗りました。

その子である2代目・陳外郎大年が京都で幕府に仕え、父が大陸から持ち込んだ家伝薬「透頂香」を伝えたほか、お茶うけとして菓子としてのういろうを考案。

その後、小田原に移住した一族は、北条氏の庇護を受けながら薬と菓子のういろうの製造を続けました。「ういろう」では、現在も製薬業と和菓子店の両方を営んでいます。

「かまぼこ通り」と「ういろう本店」

小田原の「かまぼこ通り」

小田原市本町にある「かまぼこ通り」は、江戸時代の旧東海道沿いに形成された歴史ある通りです。かつて魚市場として栄え、豊富な海の幸や箱根の湧き水を利用した蒲鉾づくりが発展した歴史あるエリアで、現在も老舗蒲鉾店が軒を連ねる観光名所となっています。

江戸時代の小田原の漁業は、相模湾の豊かな海産資源を背景に発展。獲れた魚は干物や蒲鉾などに加工され、江戸の町へも運ばれた。

【かまぼこ通り】
かつて水産加工業の中心地として活況を呈した地域で、今も通り沿いには明治・大正時代からの歴史的な木造建築が立ち並んでいる。

小田原最古級の老舗「ういろう本店」

小田原市本町に店舗を構える「ういろう本店」は、室町時代から650年以上続く小田原最古の老舗。

江戸時代の絵図や錦絵にもしばしばその姿が描かれ、歌舞伎の演目になったほか、『東海道中膝栗毛』にも登場します。外郎家では、現在の25代目まで製薬と製菓の伝統を守り続けています。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹

【監修者紹介】
望月 一樹(もちづき・かずき)
神奈川県立歴史博物館館長。昭和36年(1961)横須賀生まれ、鎌倉育ち。駒澤大学文学部歴史学科を卒業後、神奈川県史資料の整理作業に携わり、昭和63年(1988)に川崎市市民ミュージアムの歴史担当の学芸員、その後学芸室長となる。平成29年(2017)に横浜にあるシルク博物館の学芸担当課長、平成30年(2018)からは神奈川県立歴史博物館の学芸部長に就任し、令和3年(2021)から現職。学生時代は日本古代史を研究していたが、学芸員になってからは江戸時代を中心に川崎をフィールドとして調査研究を行っている。共著に『博物館の仕事』(岩田書院)など。また「律令制下における橘樹郡の様相」(『史叢』95号)や「ペリー来航時における川崎沿岸地域の様相」(『川崎市文化財調査集録』54集)など論文も多数。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』
監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹


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