米軍からの返還と都市発展!かつての陸海軍拠点から商業・住宅地へ変わった神奈川【眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話】

戦前に「帝都防衛の要」となった神奈川県

横須賀・相模原を擁する「軍都」

 戦前の神奈川県は、東京湾防衛の要衝である横須賀や、多くの陸軍施設が建設された相模原などを有する「軍都」としても機能していました。

 横須賀は幕末のペリー来航以来、軍港として発展。その始まりは、慶応元年(1865)に江戸幕府が建設した造船・修理施設「横須賀製鉄所」でした。明治17年(1884)には、横浜から東海鎮守府を移転する形で海軍の重要拠点「横須賀鎮守府」を設置。呉・佐世保・舞鶴と並ぶ4大軍港の筆頭に位置づけられました。

 その後、日清・日露戦争を経て、横須賀は巨大なドックや兵器廠を擁する東洋最大級の海軍工廠へと発展。大正12年(1923)の関東大震災では壊滅的な被害を受けるも復興を遂げ、第二次世界大戦時には日本海軍の拠点として中心的作用を担いました。

 一方、相模原は、昭和12年(1937)の陸軍士官学校の移転を機に、多くの軍事施設が立地するようになりました。また、昭和14年(1939)には、全国最大規模といわれる「相模原都市建設区画整理事業」がスタートし、幹線道路や住宅地が計画的に配置されました。

 戦後、横須賀の旧海軍施設は米軍に接収され「米海軍横須賀基地」として機能。相模原の陸軍施設跡地も米軍の「キャンプ座間」や補給廠などに転換されましたが、現在は米軍からの返還が進み、住宅地や商業地域としても発展しています。

「軍都」だった神奈川の基地と要塞

「基地県」としての神奈川

 戦前・戦中の神奈川県は、横須賀・相模原に加え、京浜工業地帯の軍需生産拠点を擁する軍事上の重要地域でした。戦後、米軍に接収された陸軍・海軍関連施設の多くが在日米軍基地となったため、神奈川県は沖縄県に次ぐ規模の米軍基地を抱える「基地県」となりました。その後、米軍関連施設は返還が進んだ地域もありますが、現在も県土の約1%は米軍基地で占められています。

横須賀の東京湾要塞

 明治政府は、江戸幕府が東京湾の各所に設置した台場(砲台)を受け継ぎ、1880年代から「東京湾要塞」を整備。横須賀市の観音崎、猿島、千代ヶ崎などにも西洋式のコンクリート砲台が建設されました。やがて重砲から航空機の時代となり、要塞の役割は防空へと変化しましたが、東京湾要塞は終戦まで稼働。現在、猿島砲台跡と千代ヶ崎砲台跡は「東京湾要塞跡」として国の史跡に指定されています。


【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹

【監修者紹介】
望月 一樹(もちづき・かずき)
神奈川県立歴史博物館館長。昭和36年(1961)横須賀生まれ、鎌倉育ち。駒澤大学文学部歴史学科を卒業後、神奈川県史資料の整理作業に携わり、昭和63年(1988)に川崎市市民ミュージアムの歴史担当の学芸員、その後学芸室長となる。平成29年(2017)に横浜にあるシルク博物館の学芸担当課長、平成30年(2018)からは神奈川県立歴史博物館の学芸部長に就任し、令和3年(2021)から現職。学生時代は日本古代史を研究していたが、学芸員になってからは江戸時代を中心に川崎をフィールドとして調査研究を行っている。共著に『博物館の仕事』(岩田書院)など。また「律令制下における橘樹郡の様相」(『史叢』95号)や「ペリー来航時における川崎沿岸地域の様相」(『川崎市文化財調査集録』54集)など論文も多数。

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 神奈川の話』
監修:神奈川県立歴史博物館 館長 望月一樹


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